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珍味になりたい & 珍味のすゝめ。

知らないことを悪だと刷り込まれてきた実感はある。

なぜならテストで点を取ればそれが勝利だったし、取れなければ人生が終わり。そんな価値観で中学〜大学の前半ぐらいまで過ごしてきた。そのせいもあって、いまだに数値化されたものに対しての競争心がある。この競争心が全て悪だとは思わないし、実際この数値化されたものに操られてできた自信の力というものはある。しかし、どうも世界は広いみたいで、どの数字でも勝てない場面が増えてきた。

別に今更この事実に対して後悔したくはないが、実際、この歳になって外の世界を積極的に見た時に感じる世界の広さ(多様な人とか、価値観とか、ものすごく実力がある人)は今までの自分の行動を常日頃後悔させるのだ。

正直、今の自分は新しく会う人が従来と比較して多い。そしてみんな本当に強い人ばかりだ。そんな人たちと自分を比較して、時折は自信を無くし、自分が何をやっていたんだと後悔する時間も多い。危なく自分の身体を傷つけることもあったがやりきれなかった。そこまでの覚悟はできなかった。

こうなってしまったのは、これまでに刷り込まれてきた、他人との競争でしか生まれなかったワクワク感とかだともう。だから、他人との競争じゃなくて、自分の中の価値観をちゃんと作らないといけない気がしている。まあ一応あるんだけど、それって本当に本質なの?っていつも自問自答している。

実際、自分軸の価値観を持つことは自分にとっては結構難しい。なぜなら20年ちょっとを生きてきた価値観をあらかた全て否定することになるからだ。今までの20年間持ってきた他人比較思考の価値観を真っ向から否定する必要があるからだと思う。

この問題を解決するために、近年私は他人比較型の価値観と、自分軸型の価値観を共存させることにした。なぜなら、他人と比較して、どう頑張っても重ならない珍味的なポジションが取ることが、おそらく僕のワクワクすることだからだ。

要するに、観光地に咲きあふれるひまわりになるよりは、ちょっと裏路地に入れば見える裏の実力派のひまわりの方が、他人軸の比較に揉まれながらも程よい距離を取れて、かつ、自分軸の価値観をもとにいざという時には発揮できる実力で幸せになれるのでは?と感じたからである。

ここで注意したいのが、実力をつけなければ、ただの裏路地のひまわりで終わってしまうことである。だから自分が満足する力をつけられるまでは、ちゃんと日の当たるところで頑張りたい。勇気を出さないといけないし、ハッタリかましながらでも進まないといけないと感じている。かつ、珍味的ロードを通ることも忘れずに。

別に実力をつけることが目的になっているんではないっすよ。そこら辺は誤解なきように。

実力をつけたいと思ったことで、そういえばと思ってたことは、いざ自分が救いたい人や環境、物質を見た時にそれを、見て死んでいく様を見るだけにはなりたくないなとも思っている。

生物学的な定義では1億人日本にいるらしいが、心が宿っている人はどれぐらいいるんだあろうか。意外と目の前の人は死んでいる。(そして私もまだ死んでいるかもしれないが。) そんな人たちや自分を殺したまま生物学的な死を迎えたくない。

具体に落とすと、自分が今まで変われなかった状態環境をなくすために、力をつけたい。自分の生まれは田舎だった。そんな場所と東京は全然違う。こんな多様な価値観にもっと小さな頃から触れられていればって、どれだけ後悔したことか。もっと、新しい価値観を教えてくれる人ともっと早く出会ってたかったとか。

実際、高校生とかが広い世界にいるの、本当に素敵だなって思う。

でも自分にはその環境がなかった。いや、その環境に気づく手段がなかった。少なくとも生まれた場所による格差性はあるだろう。

生まれた瞬間の環境に変わらず、〇〇大学に入れる確率はみんな平等とかないんだよ。もう、その瞬間から限りなく0%に近い人も100%に近い人もいて、だいたい決まっている。そもそも、脳神経の構造とかも含めるとそうだろ。何かに長けた人は長けている。科学的にもわかる。振り分けられる合計のステータスが100の人もいれば50の人もいる。

でもそういう低いステータスの人たちを救いたい。実際人ってみんなそんなDNA変わんないから。ちゃんとした環境にいればそれぞれみんな素敵な人に育っていくはず。そして、DNAの微細な違いの個性を添えて。

本当は悔しいんだ。自分がその環境だったらって思うと。自分がその身体だったらって思うと。

逆も然り。あなたが別の環境だったら、あなたが別の身体だったらどう感じていたでしょうかと。

それに対する私の解は、他人比較型の価値観を持ってポジションをとりつつも、自分軸の価値観を持って自分にしか出せない珍味 (裏路地に隠れた逸品のひまわり) になること。

そうそう。珍味になる。

そしてその珍味を食してもらって奇妙なリアクションを見るのがいいんだ。

そんでそれが、また新しい珍味を生み出すきっかけになって。たくさんの人を幸せにするはず。


ps. 日記の天日干しなので、無校閲で文章めっちゃくちゃですがお許しください。





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