自分を生きるために。(はじめの言葉)

自分を自分たらしめているのは何なんだろうか。結婚のタイミングでそれまでの仕事を辞め、苗字を変え、住んだこともなく友達も一人もいない北陸の田舎街に引っ越してきた頃、そんなことをよく思っていた。

なんとなかる、そう楽観視してこの環境に飛び込んだのに、意外と「しんどい」日が続いた。「しんどい」というか、「むなしい」というか。毎日、なんの用事もなくこの街の中で生きているという事実にじわじわと打ちのめされて。目立った困難があるわけでもなんでもないのに、自分と世の中がうまく結節していない感じが私の元気を明らかに削っていってしまった。街を歩けばあの人もこの人も、今から会う人がいたりやることがあったり、期待されていることがあったり期待することがあったりするんだろうな。羨ましいな。毎日そんなことばかり思っていた。(今から思えばそんなに元気無くすこともなかったし、自分が狭量だっただけなのかもしれないけど。)

そんな中、ご縁あって「書く仕事」をいただくようになった。私が好きな「書き手」に直接「なんでもいいから仕事をお手伝いしたい」と申し込んだのだ。ご快諾いただき、本当にちょっとしたアシスタントのような仕事(写真にキャプションをつけたり、見出しだけを書いたり)を遠隔で始めた。この辺はいつかまた書くけれど、自分の考えた言葉が、一単語でも活字になって世の中に出ていくのがものすごくうれしかった。少し長い文章の依頼になるとまだまだ実力が足りず、私の書いたものを編集担当が整えたり書き換えたりして世の中に出ていった。そういうときは、自分の「原文」と最終的に商品になった文章を一文字ずつ見比べ、「なんでここはこう直されたんだろう?」と逐一考え、客観性を養おうとした。(ひどいときは全文不採用で報酬もゼロなわけだけれど、そういうときはまた、「悔しい~!」と思いながら採用された他の誰かの文章をじっくり見て、「そうか~こういう文章が求められていたのか」と自分の中で答え合わせをした。)教えてくれる人がいないから、いい時も悪い時も、自分の書いたものと「商品(=結果)」を見比べ、差を考え、努力する。

とにかく、商品としての質の高い文章を書けるようになりたい。そこに向かって頑張ることが、私の生きがいになっていった。

そんなこんなで5年。コロナで一時的に仕事が激減しているけれど、書くものはほとんど修正されずに世の中に出ていくことが多くなり、たまたまだけど広告賞もとり、ちょっとだけ自信もついた。そしてふと思う。「本当に書きたいものは、なんだ?」

企業のために「商品になる文章」を書くのでも、自分の個人的な場に書くのでも、それは正直どちらでもいい。でも私は、そこに魂があり、世界の真実のひとかけらがあり、私が私の人生において感動したもの(だからこそ他人にも見せてあげたいと思ったもの)が直接言葉にせずとも入っているもの、そういうものが書きたいんだと改めて思った。改めて思うきっかけになった出会いがあるんだけどそれはまたいつか。とにかくそう思った。そういうものを軸に、人の心を動かし、背中を押せたらどんだけ素晴らしいだろう。そして、それをやりきるには、自分にはまだ「強さ」が足りない。

「こうだ」と言い切れるだけの、磨かれた意見や視点。そういうものが圧倒的に足りない。noteを始めたのは、そこを磨くためだったりする。実名で、「こう考える」「こう思う」「こう感じる」ということを言葉にして発信し、自分の意見を自分で背負ってみる。その練習をしようと。ただ綺麗でうまくまとまっていて「言い得ている」文章を書くことが目標じゃないんだと。言葉の芯に、まごうことなき強いエネルギーを秘めた、人間がいる。そういうものを書くために、そういう生き方をしたい。心を開いて、人の意見もどんどん取り入れ、今この時代を生きる一人の人間としての感度を高めながら。

さて、自分を自分たらしめるものはなにか。その問いの答えは、実は、まだない。だけど、言葉の表現の周辺にあるのは間違いがないようだ。鑑賞するという意味で好きなものなら他にもたくさんある中で、「お客さんではいられないもの」、つまり「つくり手側(提供側)」に入りたくて仕方なかったものがこれだったわけだし、そこに向かっている時に異様なエネルギーが自分から発散されるのも感じる。他の何をしているときより、自分を生きている気がするのだ。結婚当初に感じた「むなしさ」はもうない。ただ社会と結節しているだけではなく、自分の磨きたい、誇りたい能力を軸に社会とつながっているからだ。

ひるがえって見れば、私は田舎の一主婦に過ぎない。日々家事と育児をしている、凡庸な主婦。ちなみに見た目も普通、二の腕も太い(関係ない)。せめてもっと若くて都会にいりゃあ手に入りそうなものが、ほぼ手に入らない。そんな人間が何を熱く語ってるんだと思われそうだけれども、「こんなにも何もなかったところから、もし何か成し遂げるに至ったら、それは世の中的にも希望になるんじゃないか」と思って見守っていただければとても嬉しい。本当に嬉しい。

ふつつかものですがどうぞ宜しくお願いします。

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