「お菓子帖」(綱島理友)
編集者、という仕事を知ったきっかけ。それがこの本だ。
「お菓子帖」という昭和の懐かしいお菓子について書かれたエッセイ集。その作者のプロフィールに「編集者」と書かれていたのだ。
小学生(たぶん4年生)でこの本を読んだとき、お菓子が大好きな私は、私の身近にあってよく知っているこれらのお菓子(※ホームランバーとか梅ミンツとか笛ラムネとか駄菓子がほとんど)について熱く楽しく語ってくれるこの綱島理友さんという人が気になって仕方がなかった。こんなにもお菓子が好きなのだから、ちょっと太ってるのかな。あるいは丸顔かな。こんなにお菓子を食べても怒られないなら、独身かな。とか。(実際既婚かどうかは今も知らない。)
とても羨ましかったのは、この人は、お菓子が好きだ好きだと言ってその愛情や個人的な思い出を言葉にするにとどまらず、実際にお菓子メーカーに取材に行っちゃってるところ。それを書くことで、読者の知識欲も満たしてくれる。あぁ、いいなぁ。私も自分の好きなお菓子がどうやって出来上がってくるのか自分で調べに行きたい。製造工程だけじゃなくて、ネーミングの由来、マスコットキャラクターの謎、開発秘話、聞きたいこと一杯ある。それをぶつけられるんだ。いいなーこの人。
ということで、小4の私の中の「編集者」のイメージは、エッセイイスト+取材が許される人、ということになった。個人の思い出語りにこういう「取材から得た事実」があるだけで、がぜん文章は面白くなるし、いい意味でカタい部分ができてきて、ぐんと読み甲斐が出るってこともわかった。(まぁ逆に、さくらももこさんとか群ようこさんとか、ほぼ思い出だけで読者を最後まで面白おかしく導ける人も圧倒的才能があるってことなんだな、とも思った。)
時は流れ、私はものを書く仕事をはじめた。といっても大した仕事ではない。ほんのちょっと考えてほんのちょっと書くだけ。それでも今までそんなことしてこなかった人間からすれば、たとえ”ほんのちょっと”でも商品になる言葉を創るのはめちゃくちゃ骨が折れる。大変大変。そんな中で、私の師匠的な人がある日「編集」の仕事を振ってくれた。
今から思えば、編集というかリライトに近い。いや、リライトというか、なんだろう。とにかく元の文章は他人が書いている。しかし、それが長すぎたり短すぎたりしてページにうまく収まらない。それをうまく収めるように書き直してくれとか。あるいは端的に言えば面白くないから面白い読み物に書き直してくれとか。出版物全体のトーンに合わせてくれとか。そういう「調整」のことを、編集と言っていただけだ。ちなみに編集長はその師匠的な人がやっていた。
本当は、自分で取材して自分でゼロから文章を書きたかった。そっちのほうがやりがいがありそうだったからね。でもいろいろな事情でそれができなかったので、今はこの「調整」を一生懸命やろうと心に決めた。そもそも素人の私に仕事を振ってもらえるだけで実際のところ天にも昇るような気持ちだったし、師匠曰く、「編集のほうが書く力つくんだよ。客観性が養われるから」ということだし。やるっきゃない!
で、本当に書く力が、ついた。ついたように思う。
不思議なもので、人の文章に向き合いまくっていると、「文章の王道」みたいなものを探るようになってくるのだ。「THE 文章」というか。もちろんこれが小説とか詩なら、王道を探るより個性を磨いたほうがいいのかもしれないが、私が取り組んでいたのは広義に広告(広報)用の文章だったので、できるだけ多くの人の興味を貫き、かつ読みやすい文体で、誤解される表現がなく、いい意味で没個性なもの=王道を考えるようになっていく。30手前にして素人で文章の仕事に入っていった私には、その王道から外れる「自分目線」「自分の言葉」「特殊な言い回し」が多すぎたのだ。そしてそれが読み手にとっての読みにくさになっていた。おそらく師匠は私にそこに気づいてほしくて編集の仕事を振ったのだ。他人の文章の中に宿る「読みにくさ」にたくさん触れ、そこを修正することを通じて気づけるものがあるよと。
あれから数年経つ。未だに私にはまだ「自分の言葉」を消しきれていない。言葉に宿る、我の強さ。それは自分の課題である。一方、そうした「いい意味で、私のいない文章」と、「いい意味で、私のいる文章」の両方を磨いていけたらと今は思う。そうじゃなきゃ人生として面白くないような気がして。おそらく、お菓子帖の綱島さんは、編集者としての経験から、自分の興味と他人の興味の交わるところを見抜くのがうまく、軽妙で読みやすい文体を用いてそれを伝えるのにも長けていた。「これを書くのが楽しい」という気持ちが文章に詰まっていた。小4の私まで、その「楽しい」に絡めとっていくほどに。
いつか私は、「私の編集」というものができたりするんだろうか。自分の好きなものについて、小さい世界をぐっと深め、人の前にそっと開いて差し出すような、そんな書物(書物なのかなんなのかわからないけど)が作れたりするんだろうか。いつか。いつか。
ということで、私の原点の一つ、「お菓子帖」のお話でした。
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