「老害」にならない作戦、いや、マナー
◆ 嫌なのは何なのか
「歳をとりたくない」という言葉をよく聞きますし、自分も思うことはあります。
ただ、これ、正確に言うと
「機能と見た目を落としたくない」
だと思うんです。
見た目がずーーーっと若いままで、身体機能も思考も脳も、だいたい最高値を叩き出していられるのであれば歳をとったってべつにいい。
人間、いつか必ず死ぬのだけれど、その瞬間まで、できる限り自分をいい状態に保っていたいと私は思います。
見た目や身体機能は、美容活動を頑張るとか、苦手でも運動するとか、丁寧な栄養管理をするとか、生活習慣に気をつけるとか、自分で気づけることも色々とあります。
ただ、考え方、発言、行動は気づかないうちに老人の域に入ってきているのに
“自分では気づいていない”
ことも多々。
だいたい私だって、ここでこんなテーマについて語っている段階で、けっこうな年齢だよねーって自分でも思います。
人から「年だよね」とか思われるぶんにはいいものの、もしも迷惑をかけていたり、老害認定となり、人にストレスをかけたりしていたら、私、嫌なんですよね。
だから先回りして気づいていたいんですよ。
これって、もっと他人の命にかかわるレベルまでいくと「免許の返納」にも似ていることだと思うんです。
免許の返納って自分にはあまり関係ない、もしくは返したくないと思っている高齢者もたくさんいる。
人から指摘されても、機嫌を悪くしたり、傷ついたり、それどころか
「自分はまだまだ大丈夫(笑)」
などと思ってしまっていることすらある。
あとは、まわりも気づいているけど言えない、とかね。
「気づいているけど言えない」みたいなことはもう私の人生にも普通に発生しているんじゃないかと思っているのです。
これ、実は年代関係なく起こること。
たとえば、中学生だって高校生だって、部活の先輩後輩関係の中で「考え方が古くてうるさくてマウントとりが暑苦しい」なんてことをすでに思ったり思われたりしていることもある。
でも若き先輩は「よかれと思って」言っていたりもする。
もちろん、そういうものには本物のいいことや素敵なことも混ざっているから難しい。
よしわるしすべて含め、歳を重ねるごとにだんだんいろんな思考や思想や行動があらゆる形で入り組んで、誰かの影響を受けたりしながらもまぜこぜになりながら、私たちの思考はひとしれず着実に歳をとっていく。
肉体を『壺』だとすると、そこに、その人のこれまでの生き方、偏った人間関係や考え方、時には私利私欲や承認欲求などが栄養となり発酵し続け、非常に風通しが悪い場所で、ヤバい色をした
「発酵思考液」
みたいなものが出来上がっていくイメージが私の中にはあります。
それがいい意味での「熟成」なのか、迷惑に「腐っている」のかは、自分でなかなか判断できない。
「自分の臭さにや家のにおいに自分では気づけない」とよく言うけれど、それは心や考え方も同じなのかもしれない。
私は、そこにできる限り自分で気付きたいと思っているんです。
卑屈にはならず、難しく考えすぎず、まずはシンプルに。
「私、大丈夫かな?」
「へんな垢ついてないかな?」
そう自分に問い続けられる人でありたい。
体を清潔にしておきたいように、心も考え方もクリアでありたいんです。
先日、そこに対する大きなヒントを、意外なところから見つけたので、必ず年をとる全ての人間へ向け、あつかましくも(これが年?・笑)全力シェアします。
もちろんこれだけでオールオッケーになるわけではないけれど、これのよいところは
年をとっても生きやすくなる
こと。
生きやすく、ってどんな?
毎日が楽しくなる
見た目も若く、良くなる
頭が動きやすくなる
気楽に前向きになれる
不安が減る
まわりも幸せ、何より自分が快適
などなど、これ以上並べると怪しいサプリか健康器具でも売りつけられるのかというような言葉の羅列となっちゃいましたが、とにかく誰でもこの瞬間からできることです。
なにより、ちょっとしたことで思考の鮮度は高いままでいられると私は人生をもって自分自身に証明していこうと思っているんです。
一緒にやりません?か?
そして、いつかもっと年を重ねた時「私たち正しかったのよね」と、微笑みあえたらなあ。
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