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可愛い潰し

ある時期「可愛い」部分をしまうように言われたことがある。

それはだいたい18歳ぐらいから始まった。

個人的には、可愛いことはいいことだと思う。

これは見た目に限らず、性格だったり、考え方だったり、動きだったり、可愛いものが好きだったり、いろんな面からの “可愛い” のことだが、とにかくそれを持っていて何が悪いんだろうと思う。

でも「その可愛いは、これから先あなたの為にならないよ」と助言する人たちが多発する事態は、とくに女の子の人生には起りがち。

実際、私にもじわじわと忍び寄った。

ちなみに、これはビジュアル面というより、考え方や素直さや好奇心や心の柔らかさくる可愛さみたいなもの。

素直であったり好奇心を持っていたり感情表現が豊かであったり、ワクワクしてすぐに笑顔になってしまうことを

「とりあえず、そういう無邪気で可愛いのそろそろやめときなさい」

というふうに好意のつもりで発言する大人が多方面から多発する時期がある。

私だけでなく、まわりでも時々見かけたし、とくに女性はそういう経験をすることが多いんじゃないだろうか。

それが社会に出ることだとかいう人もいるが、今となってみれば、そんなもん無視すれば良かったと思う。

当時、真に受けた私は、意識していつも数十パーセント感情をしまいこんだし、好奇心を持って触れてみたい見てみたい行ってみたい場所を無視したことも多々ある。

大袈裟にそしてシンプルに言えば

「きゃああああ、なにこれー! わーい。すごーい。なんだー。うれしい!」

みたいな感覚のレベルを激下げした。

つまり私は変わってしまった。

当然人は変わるものだけれど、どこか本意ではない変わり方もあったなあと思う。

思うに、女の子が大人の女の人になるまでの間に求められるものは、辻褄のあわないものが多すぎて、きつい。

人の都合で可愛くしろとか可愛くないとか言われたり、ちゃんとしろと言われたりちゃんとすると生意気だと言われたり。

大人になれと言われたり、いきなりばばあ呼ばわりされたり。

そこをみんななんとか生き抜いて、変わりゆく環境や日々の中で、ささやかに綺麗を咲かせようと頑張ったり、可愛いさを踏み潰されないように守ったりしていて、いじらしくて強くて泣けてくる。

大なり小なり誰もがそんな世界で揉まれて生きている中、この年齢にして、この先どうしていくかのお話。

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