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誘拐されかけた時の話

◆ おそらく私は生きたかった

へんに重くとらえないで読んでいただきたいのだが、私は誘拐されかけたことがある。

一回は、小学生のころ確実に。

一回は、20代の頃、私の勘違いでなければ、たぶん。

といったところ。

あの時、誘拐されていたら、今のこの文章はない。

これまで、出会ったすべての人たちとの交流もただのパラレルワールドだ。

子供の頃から今日まで、人並みにたくさんの人と出会ってきた。

「出会った人」とは、一瞬でも出会ったすべての人のことだと思っている。

道をすれ違ったり、電車でとなりに座ったり、お店の人と言葉をかわしたり、行った学校や会社単位の出会いでいうと、数えられないほどとんでもない数。

そして、数えられるほどの、大切なまわりの人と話したり、遊んだり、食べたり、飲んだり、笑ったり、贈ったり贈られたり。

楽しいことはもちろん、思い出したくないくらい思い出してしまう死ぬほど嫌なことも死ななかったから経験できた。

誘拐されて、この世から消えるか、どこか別の世界でひどいめにあうとか、まったく違った人生を歩むということは、今目の前にあるものが全部が消える、存在しなくなる、ということだ。

すべての人間が、一歩、1秒、1思考違えば、違う場所に連れ去られたり、この世からパッと消えたり、天災や事故に巻き込まれたり、とにかく

"人生はまったく別のものになる"

としみじみ思う。

だから、バカみたいな話なのだが、時々、出かける時に支度も完全に終わり、家をもう出られるのに3分ぐらいじーっとしてみることがある。

他にも、何も考えずに乗ろうとした電車の車両をひと車両うしろにしてみたり、どこかで階段を下りる時に二段とばしにしてみたり、タクシーの空車を止めずに見送ったり、意識してやってみることがある。

そんな時

「あ、人生が変わった」

って、思うのは不思議と妙に心強くなるものだ。

他にも、友達がうちに遊びに来た時、帰ろうとするところをなぜか突然引き止めて、コスメだのお菓子だのとお土産を渡したくなることがある。

そんな時も思う。

(私たちは、行動が予定より数分ズレたことで何かから守られたのではないか)

未来にあうはずだった、事件や、事故や、そんなものから逃れることができたのだとしたら、些細な行動って壮大だ、と。

もちろん逆もあるかもしれない。

誰かに声をかけてしまったせいで、その人の人生が大幅にズレ、何か悪いことが起きたらどうしようとかね。

自分が何かひとつでも動くことで、誰かに、世界に何らかの影響を与えてしまっていることは、誰しも確か。

そういう意味では、自分も、毎分毎秒、どこかの誰かの影響を受けているのでしょう。

でも、そんなことを気にしだしたらキリがない。

だから、シンプルに、人と接する時、誰かのことを思う時は、できるだけいい感情、いい気分になるように努めている。

そりゃあ、顔も思い浮かべたくないほど嫌な人もいる。

でも、そのひとでさえ人生から消えたら、この瞬間はないという理不尽さと尊さをはらんでいるのが「今」という瞬間。

だから、嫌な人に会ったり、嫌なことをされたりした時には「このひとですら必要だったんだ」と、思うようにしている。

◆ 絶叫の誘拐未遂事件

小学校2年生で誘拐されそうになった私は、頭から大量の血を流しながらもなぜあのおじさんについていかなかったのか。

それは、ひとつのルールと、そして言語化できないほど動物的に「生きたい」と感じた本能とが私を守ったからだったように思う。

いつものように、下校していた時の出来事。

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