私が選ばなかった道、開かなかった扉
◆ 「自分を超える」はありえない
「なんでこんなことになったんだろうな」
良い時も悪い時も、ふいに思うことがある。
なんでこんな素敵なことに出くわせたんだろうとか、なんでこんな理不尽で嫌なめにあうんだろうなとか。
外的要因はあれど、おおきくひとつ言えるのは
“自分のあらゆる選択の結果”
今、目の前の景色がある。
そしてその選択は、良かったわけでもなく悪かったわけでもなく、過去に戻ることができない今となっては、フラットに「それ以外のものはなかった」というだけ。
例えば、今、置かれている状況がとくに気に入ったものでなくても「あの選択が悪かったからだ」と、自分責める必要もない。
「自分を超える」という表現があるが、それは比喩や方便であって、厳密には、自分はどうしたって自分を超えたことをできない。
超えたように感じていても、それはやっぱり「自分」そのものであり、超えられなかったと感じても、それもやっぱり「自分」そのもの。
これが自分の実力。
楽しむことにしたって仕事のキャリアにしたって収入だって人間関係だって生活環境だって「これが今の実力なだけ」それだけのこと。
こんなことを言うと、夢がないように聞こえるけれど、まずこの部分を認めてからでないと、夢どころではないと思っている。
ある意味では大きくも小さくも盛ってない「自分」という場所に視点がなくては、何も見られない、もしくは見るものとの距離感がおかしくなる、歪んでみえるのではないか。
若い頃は、そこでごちゃまぜになって闇雲になにかを掴んでいくのも悪くなかった。
でもやっぱり冷静に思考を整理すると、自分の立ち位置はわかっていたほうがいいし、現実も知っていたほうがいいし、物事はなんとなくではなくちゃんと選んだ方がいい。
それを明確にわかっている人は、迷いのない人生を歩んでいて、そこにいるだけでなぜか魅力的で本人も幸せそうだし、子供みたいな目をしているなあと思うことが多々あります。
まだまだ私はそこに達していないなあと思いつつ、達している方々とご一緒することがあります。
その時の、エピソード、そっとシェアしますね。
ちなみに、今回のお話は個人的にとっておき。
パキーーーーっとしている好きなエピソードです。
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