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生活留学


僕が社会人になって、最初の一番高い買い物は「経験」でした。


2022年12月から、僕は福岡県宗像市に住んでいました。

一人暮らしがしたくて、というか、一人で生活するという経験が欲しくて実家を出ました。

職場は福岡市の方だったのですが、リモートが多く、市内に住む必要はないと判断しました。
せっかく選択肢がたくさんあるなら、自分の好きなところに住もう。と思い家探し。

地元が久留米で、釣りが趣味なので海が近いところに憧れがありました。
また、大学の時から乗っていた車を持っていきたくて、駐車場が安いところを探しに探しました。

結果、選択肢は2つ。糸島か、宗像。
宗像には歴史ある建物、土地が多いことが最後の一押しとなり、住むことに決めました。

鉄筋コンクリートの新築マンション。
駐車場代は月4000円。近くにスーパーもある。
こんないいところは無いです。

このことを友人に話すと、
「なんで宗像?」「意味がわからん笑」
と言われます。

偉い人にはわからんのです!宗像の良さが!

僕にとっては魅力しかないところです。


さて、時が経って2023年6月。
会社から「原則出社」のお達しが出ました。
コロナが第五類に分類されるのと時を同じくして、リモートが解除されたわけです。
(解除って言い方が正しいかは置いておいて)

これは参った。まさかこんなことになるなんて。
ある程度予想はしていましたが、週2〜3回の出社だろうと、たかを括っていました。

出社が悪いとは言いません。誰も悪くないのです。

さて、どうしたものか。
ひとまず出社になった際の大変さ、会社の動きなど様子を見ようと思いました。

-ー-完全出社になって1ヶ月。7月のある日。
「実家に帰ろか。」
そう思いました。
とにかくめんどくさい。効率が悪い。お金が貯まらない。
通勤時間は宗像からでも久留米からでも同じ1時間半。
家賃払ってる意味がようやくわからなくなりました。
戻れる選択肢があるなら戻るわ。

てなわけで9月には戻るつもりです。


さて、これからは一人暮らしで気づいたこと、得たものを振り返りたいと思います。

元々、経験が欲しくて始めたこの一人暮らし。
かなりのお金もかかっているのに、「楽しかった」だけじゃもったいない。

これは、僕の宗像生活留学のレポートなのです。

沖ノ島で発見された指輪(国宝)

実は戻る選択肢を残していた

一人暮らしをする前に、あることを考えていた。
目的が「一人で生活する経験をする」ことだったから、それが満たされたり、生活と言えない日々になるようであれば実家に戻りたくなるのではないか、と。

たとえば、フル出社になって家がただの寝る場所と化した、とか。

最低限戻れる形は残したまま、家を出よう。

そのため、実家の部屋はそのまま、大きすぎる家具は買わず、短期間でも契約違約金が発生しない物件にした。

我ながらいい判断だった..。
まさかこんなに早く戻るとは思ってなかったけど。

自分の「好き」と向き合えた

まず、一人暮らしに必要なものを揃えなければならなかった。

ありがたいことに、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジは初めから物件に付いていたので買う必要はなかった。(これも持って帰らなくていいという戻る前提の判断があった)

それ以外の大小生活に必要なもの。
それらを買うにあたって、とにかく自分の好きなものを揃えられる。どんな部屋にしようか、どんな暮らしにしようか色々考えた。
だが、結局は曖昧で、思っていた部屋とは違うものになった。
でもそれでいい。

ものを買うにあたって、自分の中の基準がどことなく見えてきたからだ。
僕が、何かを買うときに設けているルールは2つ。

①心が動くか
②"本当に"必要か

これだけ。

第一に、心が動くかどうかを最も重要視する。感動であったり、驚嘆であったり、愛着であったり、共感であったり。
そんな感情を想起させるようなものは少ない。少ないからこそ価値がある。千載一遇なのだ。
特に僕は、そのものを見るだけで、色んな景色や他のもの、他の人、過去や未来を感じられるものが好きだ。
噛めば噛むほど味がするような、見る角度が変われば捉え方が変わるような、そんなものが好きだ。

とはいえ、そういった類のものは高価であることが多い。
手が込んでいたり、有名デザイナーのものであったりするからだ。
だから、"本当に"必要かを考える。

生活は、意外とシンプルなもので成り立つ。
これも一人暮らしで気づいたことのひとつ。
そんなに沢山は必要ない。
別にミニマリストを気取っているつもりはない。
ただ、無駄なものは必要ないと、当たり前のことを言っているだけだ。

ただ、この2つのルールを完璧に守れているわけではなく、たまに失敗もする。
心を大きく揺さぶられたからといって要らないものを買ってしまったり、便利そうだと思って買ったけど使わなかったりする。

このあたりはまだまだ、練習中だ。

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友達の家にカン・ビンを置いていくな

一人暮らししてわかったことは、「燃えないゴミの処理がすごく面倒」だ。

一人暮らしをしている人なら、いや、していなくても知っているかもしれないが、友達の家に缶やビンの不燃ゴミは置いていくな。
持って帰れ。

これは啓発だ。
なぜなら、僕は一度置いて行かれたからだ。笑
別に怒りはしないが、そこの気遣いができると、「お、気遣いできる人だ、ありがと」と思われるぞ。

1人で生きるのは効率が悪い

実家に戻る第一の理由でもあるが、一人暮らしはとにかく効率が悪い。

食材も少量ずつ買わないと腐らせてしまうし、家事の分担はできないから時間の短縮もできない。
家賃も狭い家で単身より、少し広い家で二人で住んだ方が一人当たりは安くなることが多い。

金銭的にも、時間的にも、二人より単身の方が得られる効果が減少する。
これは規模の経済に当てはめても同じだろう。

一人から二人になったら、その効果・生産性は単純に二倍ではなく、四倍、五倍になるだろう。
もう一人で住むのはいいかな。楽しいけど、非効率的だ。

久留米はすごくいいところだと気がついた

月並みな言葉だが、地元を離れてみて、地元の良さに気がつく。
(離れたといっても60kmくらいだが)

久留米は、車さえあれば東西南北自由に行動ができる。
東は大分、西は佐賀、南は熊本、北は福岡市。

一方で宗像は、福岡市に行くか北九州市に行くか海に行くか、くらいしか選択肢がない。
魅力的ではあるが久留米には敵わない。

久留米は、歩いていける範囲に様々なものが集積している。カフェ、居酒屋、商店、レストラン...

久留米は、呼べばすぐ行ける距離に友達がいる。なんなら呼ばなくても偶然会う。

アクセス、歩ける距離にある、友達がいる。
これがいかに大きいかを実感した。

やりたいことはやる

やりたいと思ったことはやった方がいい。
大変だった。
お金もかかった。時間もかかった。
めんどくさいことだらけ。
短期的な効率で見るとかなり悪い。
経済的にもどう考えてもマイナス。

でも、一人暮らししてよかった。
短い時間だったけど、何より楽しかった。
自分で選んで、自分の目で見て、自分で行動した。
この「経験」という財産は誰にも取られない。

これは浪費ではなく、自分への投資なのである。
いい買い物だった。
そのまま実家にいたと考えたら、100万くらいかかっているが、十分にその価値はあったと思う。

宗像で過ごした日々

宗像は空が高い
店は少ないがどこに行っても心がある
海の風が吹く
星が降る
音がやさしい
心に余裕がある
たくさんのものは必要じゃない
徒歩15分の帰り道は自分と話し合う時間だった

ある日神社へ。
神や仏をそこまで信じているわけではないが、一応ご挨拶をしておこうという気分になる。
境内で手を合わせ、目を瞑り、心に浮かぶのは、家族や友人、久留米のこと。

私はどこからきた、誰であるかを自己紹介する。
いつの間にか、育ててくれた人、街、居場所に感謝する。これが信仰ってやつなんだろう。

そんな信仰の対象となる神社仏閣が、日本中にはるか昔から存在する。
その凄さを実感する。
それと同時に、自分が恵まれていることを感じる。
そんな日々がいい。

こんな風に、自分の心をそのまま文字にできた時は気持ちがいい。
達成感に似た何かを感じる。

僕はこの感覚を「掴んだ」と表現している。
宗像では「掴める」ことが多い。
だからこの街はすきだ。

言語化の風潮が激しい今の世の中。
それに同調して、言語化することは全て正しいとは言わない。
ただ、自分の好きや無意識と向き合う以上は、言語化は必然の過程であると思う。

夕日を見ていると、地球が少しずつ、確かに回っていることを感じる
あの夕日は、どこかの朝焼け。
そんな当たり前をおもう。
波はどこからかやってきて、どこかへと去っていく。気温や風が波を起こす。

画面の中に夢中になる日々。
イヤホンの中に閉じこもる世界。
そんな中では感じられない魅力がある。
私たちは、リアルを生きている。

やっぱり都会は嫌い

宗像と比べてわかった。
都会は殺伐としている。
取ることに必死で、譲ることをおぼえず、
奪われることに怯えて、与えることを忘れる。

みんな満ち足りた顔をしてるけどどこか物足りない
それはきっと欲しくなるものがまわりにたくさんあるから。

宗像では、自分がどれだけ持っているかを自覚する。

帰る場所があり、汲んでこなくても蛇口をひねれば飲める水があり、食べるものがあり、何者にも脅かされない日々がある。

会いたい人がいて、話してくれる人がいて、きちんとしたお金をもらえる仕事がある。自分の道を選ぶ権利がある。

ないものばかりに気付かされる都会と、そこにあるものに気付ける田舎。僕はそんなイメージを持っている。そんなことない人もいるだろうけどね。


宗像で一人暮らしをしたことで、沢山のものを得た。
かけがえのないもの。
生活留学は一旦おしまい。
実家でお金を蓄えて、次は何をしようか。

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