名取事務所『鳥が鳴き止む時―占領下のラマッラー』について
※この公演は終了しています http://nato.jp/topics.html
書きたいと思いながらしばらく放置してしまった名取事務所の二本立てについて書こうと思います。今日は後半の一人芝居『鳥が鳴き止む時―占領下のラマッラー』について。
お芝居を観ていない方のためにざっくり説明すると、外に出る自由を奪われ、家に閉じ込められた男がいかに人間らしく生活することができるか、という話です。(タイムリー!!!)
原作はラジャ・シャハデさんの日記です。↓Kindle版もあります☆
今回のコロナの影響で、自宅に引きこもっている方も多いでしょうし、私もその一員に加わっている現状ですが、あの作品で主人公のラジャさんが言っていた言葉を度々思い出します。
芝居では、緊張関係にあった隣国イスラエルが急にラマッラーに軍隊を派遣し、破壊行為をし、外出禁止令を発令し、生活を制限します。
今日本では補償が問題になっていますが、紛争地域に当然そんなものはなく、外出中に外出禁止令が出された人はうちに戻れず、外に出ると撃ち殺される。オフィスは封鎖され、食料は手に入らない。生鮮食品は停電で腐り、破壊行為で死んだ人間を埋葬もできない。テレビから流れる悲惨な占領の状況をただ見ているだけ…
そんな日常の中で、作家である彼は「怒り狂ってはいけない。落ち着いて、混乱の中でも普通の生活を続けるように努めなければ。否定的な感情に身を任せて時間を無駄にし、物が書けなくなるようなことがあってはならない」と語ります。
そして、外には爆撃音が響く日常生活について、「私はバッハの音楽をかけ、洗濯機のスイッチを入れて、シーツとタオルを洗います。庭から花を摘んできて、花瓶に差し、書斎に置きました。こういう小さな決断ならば、今の私にもできます。部屋をどう飾るか、どんな音楽を聴くか、一日の時間をどう割り振りするか、とか。これが自由、生活を自分自身のものにすること。」と言って、危機的な状況に打ち勝とうとします。 ↓撮影:坂内太
スーパーや薬局は開いているし、今の生活をラジャさんと比べることがおこがましいような気もしますが、それでも不安を抱えながら生活していくヒントをたくさんいただいている気がします。
さて、ここからはこれを演出するにあたって考えていたことを書きたいのですが、今回は二本立てだったので、舞台美術を大きく変更せずに、どう2作品の変化をつけ、また共通点をあぶりだすか…というのが大きな課題でした。
『鳥が鳴き止む時』については、ラジャさんには直接的な被害(兵士が踏み込んでくる、とか、家が破壊される、とか)はなく、またご本人が細心の注意を払って日常を維持しようとしている努力していることもあり、実際彼のおかれている危機的状況は、特に日本での上演の際には伝わりにくいのではないか、と考えました。
なので周囲の破壊のイメージを持ち得るような舞台美術を、と杉山至さんに相談し、彼からは「モノが沢山つられたりひっかかったりしている。それらは使えるものなのに、引っかかったりしていることが原因で使えなくなっている」というアイディアが出てきました(これは『帽子と預言者』の「モノ」という存在にも関連があります)。
もしかすると、パレスチナに詳しい方ならヘブロンの状況と重ねられた方もいらっしゃるかもしれませんし、それももちろん狙いです。
『帽子と預言者』の男も、『鳥が鳴き止む時』のラジャさんも、事情は違えど共に外に出られない人間で、圧迫感のある舞台美術はそれを視覚的にも伝わりやすくしてくれていたのではないかと思います。
また、大きな本棚と机…2作品の主人公が作家だろう、というような想定から、「男の書斎」で物語がずっと進行していくようにしたいと杉山さんにお話しした時に、本棚が地図みたいになって、イスラム庭園的な感じになると面白いよね、という話が出てきました。
不勉強で、イスラム庭園がどんなものかよく知らなかったのですが、「パラダイス(楽園)」の語源にもなっているそうで、過酷な砂漠気候のなかで、しっかり水をめぐらし、木陰を作り、木や花を植えた庭園はまさにパラダイスで、ラジャさんが庭を大事にしていたり、『帽子と預言者』でモノが水を求める必然性は、こういうところから生まれているのではないか、と思いました。
本棚が最初に倒れるのは、杉山さんのこだわりで、そのあとどこに何が落ちるのか(それを田代さんは拾って地図にしていかないといけないので)を舞台監督のとらさんや演出助手の小原さんと何度も実験したのを思い出します。
あぁ…芝居を作りたい。
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