【らべあろ企画】ちょっと待ってぇ〜 多賀城で一句
ちょっと早すぎるかなと思いましたが、
これからお出かけ予定で
Wi-Fiの飛ばないところに行くので、
今のうちに、ぶっ込みます🙇♀️💦
楽しい旅も折り返し。
バスは函館から仙台へ向かっています。
じつは宮城には、
仙台城のほかにもお城があります。
多賀城です!!
724年、奈良時代……
古すぎてアウト、なんて言わず
お付き合い頂ければ幸いでございます。
さて、沖縄在住のわたしが、
この東北のお城を、なぜ知っているのか。
それは……
10年前に放送されていた、
このドラマにガッツリはまっていたからです!
高橋克彦さんの小説
「火怨 北の耀星アテルイ伝」を
ドラマ化したものです。
主人公のアテルイ(大沢たかお)の
良き理解者となり、ともに朝廷軍と戦う
呰麻呂という男の役を、
なんと大杉漣サマが
演じていらっしゃいました〜ワーイヽ(*´∀`*)/ワーイ
そのときの漣さん……ではなくて
呰麻呂の誠実そうなあの目✨
真剣なまなざしで、
アテルイに語りかける様子。
今でも忘れることはできませぬ。
そして、命尽きるまで
アテルイの味方なんですよね🥺
史実だけ追いかけると、
「あれ? そんなにいい人でもない……?」
と、うっすら思わなくもないんですが、
漣さんが演じると、
蝦夷の人としての誇りを失わず、
その矜持を胸に戦った人格者なのね、ステキ!
と、なります。(たぶん、わたしだけかな😂)
漣さん演じる「伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)」は、もともと蝦夷(北海道)の族長で、朝廷に与し、それなりの役職についていました。
ところが、伊治城に駐留していた朝廷の役人・紀広純(きのひろずみ)に反旗をひるがえし、780(宝亀11年)、モレ(北村一輝)らとともに、陸奥国府であった多賀城を襲い、焼き討ちしたのです。
その後、「日本側の記録に伊治呰麻呂の名が登場することはない」(下のサイトより)そうですが、ドラマでは、
「呰麻呂は朝廷(ヤマト)軍に追われる身となり、アテルイにヤマトとの戦いを託し、
乱の積を一身に負って自害」
(Wikipedia 同上より)
しました。
自害……。
漣さんのことなのにうろ覚えなのが
大変悔しいのですが、
最後はヤマトの軍に捕まって、
処刑されていたような印象でした。
自害だったのか。
ともかくも、この呰麻呂の反乱が、
蝦夷軍と朝廷軍の38年にわたる
長い戦争の引き金になるのです。
なるほど、だから「火怨」なんですね。
あっ!
やっと一句うかびました!
風炎や蝦夷の矜持に落つる城
多賀城は、焼き討ちされてそのまま廃城になったかと思いきや、そのあとの歴史が長いです。
復旧と復興を繰り返して発展していくさまを
俳句にできたらよかったのですが……
漣さん演じる呰麻呂が焼き討ちした城
というイメージが頭から離れなくて
断念しました😂
こちらのサイトによると、多賀城は
なんと11世紀中ごろまで現存したといいます。
焼き討ちから復旧したあと、
陸奥大地震で倒壊、そこから復興。
頑張ったんだなぁ……多賀城……
胸が熱くなりました。
いまは「多賀城址公園」になっているその場所には、重要な政務や儀式、宴会などを行う
正殿や、
(正殿……?
首里城以外でその呼び方を初めて聞きました)
城内の各所に実際の行政事務を行う役所や、
兵士の住居などがあったそうです。
再整備を繰り返し、
平安時代に政治体制が充実。
城跡の周辺には市街地が広がっており、その
東西にも多くの人々が住んでいたようです。
多賀城跡を中心とした都市が形成され、
現在も、「多賀城市」に
その名残が感じられます。
市の特産品は古代米。
宮城県内の薬局で、古代米のおにぎりが発売されているそうですよ!
城址をめぐったあとの
パワーチャージにぴったりですね😋
あぁお腹いっぱい(*´∀`*) ウトウト…
(これから大型連休、しばしnoteから
離れざるを得なくなりそうです🙇♀️
この記事のコメント返信は、週明けに
予定しています🙇♀️💦)