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【企画参加】バトンリレー企画2022〜心に残るエピソードをあなたへ〜 プリーズよりレッツゴー



チェーンナーさんの、
こちらの企画に参加します!



タイムラインに、いろいろな方の参加記事が
上がってくるたびに、いいなぁ、楽しそうだなぁと思っていました。

まさか、わたしにもバトンが回ってくるとは!




バトンを繋いでくれたのは


これでも母さん、ありがとうございます✨
「始まる世界」からもうすぐ1年。
参加しただけのわたしが言うのもなんですが、
感慨深いです。


じんわり胸に沁みた1回目の記事。
こちらも、ぜひお読みいただきたいのです。






さて、心に残るエピソード。


いろいろ迷いましたが、
ずっと書きたかったことを書いてみました。



それにしても、好きなひとたちを入れ込みすぎて、記事がパンクしそうです😂

長い話ですが、
お付き合いいただければ嬉しいです🙇‍♀️






秋うらら何処へでもあの子とともに
〜プリーズよりレッツゴー〜




大阪桐蔭高校から、準々決勝で大金星。
そのままの勢いで夏の甲子園、初の決勝に進出した、山口県・下関国際高校野球部。

以来、チームを率いる坂原秀尚監督の、部員たちへの厳しいながらも愛情に満ちたエピソードが、あちらこちらから聴こえてくるようになった。

なかでも印象に残っているのが、
「能力に自信がない、辞めたい」とこぼした
部員をまいにち、その子の家まで、坂原監督ご自身が迎えに行っていたというエピソードだ。



学校のグラウンドで待っているだけでも、ベンチにふんぞりかえって、「あいつ、なんで来ないんだ!!」と文句を言ったとしても、咎められることはない立場のはず。

「やる気のないやつは切り捨てる」
というスタンスでいることもできたはずなのに、わざわざ、辞めたいという子の家まで毎日行って、

「3年間続けることが大事だから、頑張ってみないか」

と励まし続けるなんて。
こんな、胸を熱くさせる指導者がいるのかと、驚くと同時にいたく感動した。


同時に、もう亡くなってしまったけれど、大ファンである平成の名優・大杉漣さんのことを思い出した。



当時1歳の娘が、カバーをボロボロにした挙句、
写真に「チュッ」とやってた時もあったなぁ☺️
懐かしい。



写真の著書「現場者〜300の顔をもつ男〜」に、こんな一節がある。


ぼくは「プリーズ」で
腰を上げる立場より、
「レッツゴー」と
自分でかけつける立場でいたい。
大杉漣「現場者〜300の顔をもつ男〜」
169項・プリーズよりレッツゴー


その言葉どおり、「現場でのあり方を自分で探し」、ムードメーカーになったり、寡黙を貫いたりした。

現場の隅にいるスタッフにも、積極的に話しかけ、共演者だけでなく裏方にも慕われる俳優になった。



コワモテで、ともすれば近寄りがたい印象を与えがち。でも、トーク番組やバラエティ番組でお話すると、こんなにも優しくて気さくで楽しい漣さんを創りだしたのは、


写真をタップすると、朝日新聞の記事に飛びます。


「プリーズより、レッツゴー」

その精神だったのだと思っている。


そして、わたしの周りにたった1人。
はからずも、漣さんの精神を
見せてくれる友人がいる。

山口にルーツを持つ、Yちゃんである。


念のためつけ加えておくと、たぶん彼女は、
漣さんのことを当時、知らなかったと思う。



「どうしてるかな」と思うやいなや、秒で会いたくなる数少ない友人


Yちゃんは、高校の同級生だ。
入学してすぐ、当時ジャンプで連載していた漫画「封神演義」の話で意気投合し、仲良くなった。

Yちゃんの推しは
妲己ちゃん(1番上、左から2番目)。
よく絵を描いてくれました。
妲己は、彼女のイメージに近かったかも。
(極悪非道なところは抜きで)
わたしの推しは申公豹(妲己の右隣)です。
妲己の左隣が、主人公の太公望。
飄々としてて、よかったなー。



良く言えば天真爛漫。
悪く言えばKY。

彼女の持つ独特のノリについていけず、どう付き合っていけばいいのか迷う者も、クラスメイトの中にはいた。

けれど、わたしは彼女と馬が合った。
(と、こちらが一方的に思っているだけ説あり)

ちょっと変わった、空気の読めないひと。
それは、わたしだって同じだからだ。


高2のころ、ひと月ほど学校に通えなくなった時期があった。

ほかのクラスメイトと、ほんの些細なことで大げんかしてしまった。
あいつの顔を見たくない、が、学校に行きたくないに変わり、中間テストもそっちのけで不登校になった。

クラス全体に恥ずかしい姿を晒してしまった、という気持ちも強かった。



休んでいる間、クラスメイトたちからの電話が鳴り止まなかった。

「わたしで良ければ相談に乗るよ」

と言ってくれた友達も、何人もいた。
担任からも電話がかかってきて、

「なぜ休んでいるのか、理由を言え」

と詰められた。


理由なんか言えるわけがなかった。
ただでさえ電話が苦手で、這うようにして電話口に立ってほぼ酸欠で応対しているのに。


自己開示がうまくできないまま、わたしは、ますます部屋に閉じこもるようになった。



電話がパタリと鳴らなくなって久しい平日の午後、家のインターホンがいきなり鳴った。

しばらく無視していたが、ピンポン、ピンポンとあまりに鳴りすぎるので、しぶしぶ出てみると、玄関に立っていたのはYちゃんだった。


「もーっ、1時間も迷っちゃったよぉ! Sazanamiんち、ホント分かりにくいよねー」


マンションの廊下じゅうに響く声で、Yちゃんは言った。その姿は汗だくだった。


Yちゃんは、わたしの家から車で1時間以上かかる場所に住んでいる。

こちらの土地勘もなく、いちど遊びに来ただけの記憶を頼りに、学校からバスを乗りつぎ、飲み屋だらけの入り組んだ道を1時間も彷徨い、来てくれたのだと思うと泣きそうになった。


彼女は、わたしが学校に来ない理由を、ひと言も聞かなかった。代わりに、封神演義をはじめ好きな漫画やテレビのこと、そのついでのように、学校であったことを話して帰った。

ところが、学校に来いとは言わなかった。


ほどなくして、わたしの不登校は
あっけなく終わった。



プリーズより、レッツゴー。



相談に乗るよ何でも言ってねプリーズ、と
ひとこと添えて、相手からのアクションを
じっと待つ姿勢も素敵だ。

そうしてもらったほうが嬉しいし、
優しさが沁みる場合だってある。
そっとしてほしい時も、あるし。

プリーズの解釈、漣さんとちがうかも


それでも、レッツゴー! と身ひとつで
かけつけてもらえるのは、こんなにも嬉しい。


それを、Yちゃんが教えてくれた。
まだ、漣さんに出会わない頃に。




あれから、Yちゃんに倣って
「かけつけるひと」になるべく行動を変えた。


まだまだ、元気のない人のもとに
かけつけることは、できていない。

けれど会いたい人からの誘いを待つのではなく、自分から連絡して会うようになった。

どんなに遠くても、行きたい場所に
行ってみるようになった。

ひとり旅も、たくさんした。


Yちゃんも、フットワークの軽さから、いろんな場所に行って、いろんな世界を見ているようだ。会うたびに楽しい話を聞かせてくれる。


感染症が流行る前に会ったときは、プロレスを観るために東京から帰省したと言っていた。


マラソンの次は、プロレス!?
また、未知の世界を開拓したのね。あっぱれ!

そんなYちゃんのおかげで、日々だいぶ楽しく過ごせるようになった。受け身だったわたしを変えてくれて、ほんとうに感謝している。

これからも、かけつける人でありたい。

坂原監督や、大杉漣さん、
それから、Yちゃんのように。



秋うらら何処へでもあの子とともに
Sazanami締めの一句





次のバトンは、どなたに?



次のバトンは、俳句の楽しさを教えてくれる
ラベンダーさんにお繋ぎします(*´∀`)♪


担当なさっている「俳句幼稚園」の企画は、
いつも大盛り上がりです。

そして、Canvaも詩も、「Bar シェリル」も
ステキなんです✨ 過去記事もぜひ!



言葉にできないくらいお世話になっていて、互いの推しである阪神タイガース・北條史也選手についても、いつも教えていただいています。


内々にお願いしたところ、
すぐに快諾してくださいました。

めっちゃ嬉しい、ありがとうございます✨

いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。