重度のワーカホリックを、脱したはなし。
noteの皆さま、こんばんは。「ワーカホリック・シリーズ」きょうは、「書く」ことで、仕事中毒から抜けれたよー🙌 という話です。
はじめから読んでいただいた方には、Sazanamiの電話ぎらい、そして生い立ちを延々と聞いてもらって、申し訳ないやら、ありがたいやら。
このシリーズの、きっかけになった記事
わたしの過去記事、ふたつ。
本編、はじまります。
高校1年から、20年以上、日記を書いていた。
日記、というか、
散文みたいなものだったかしら。
わたしが、もうすぐ高校2年になる頃の、
1999年3月15日。
大ファンである、フィッシュマンズの佐藤さんが、とつぜんこの世を去ったことがきっかけで、
「彼にたいする現状報告」
すなわち
佐藤さーん、
わたしは
こんなふうに
暮らしてまーす!
と、あの世に手紙を書くつもりで
その日あったできごとなんかを
大学ノートに、長々と書きつらねていました。
その習慣は、大人になっても続き、
仕事の愚痴や、母親と折り合いがつかず
いらだちを隠せないできごと、などなど
とにかく、外ではあまり話せないことを
せっせと、書きためていました。
これが、かなり楽しくなってしまって
「これでバッチリ文章術!」的な本も読みつつ
あとで読みかえしても、
恥ずかしくならないように、
きちんと推敲もしながら、書いていました。
そしたら、書いているのは恥ずかしい内容でも、
読んでみたら意外とおもしろかったりして、
大学ノートに並んだ文字の羅列を眺めながら、
にやにやすることが、
すこしずつ増えていきました。
結婚を機に、日記がパタリと、
途絶えてしまって。
それから2年ちかくたち、子宮外妊娠で入院して、
なにもしなくていい時間を過ごしていたら、
無性に書きたくなりました。
それで、noteをはじめた
と、いうわけです。
なので、Sazanamiのページは
ほぼ、日記帳だと思っていただいて……
ウソです。
そのほかに、「書く」ことで
ずっと、あきらめきれなかったことがあります。
黒歴史を公表します。
ピアノや声楽を、ずっとやっていて、
それらを活かした仕事に就けたからか、
「いま、夢が叶ったんじゃないですか?」
というニュアンスの質問を、されがちです。
が……。
わたしの夢、まだ、叶ってません!
小学校のころ、文集に書いた「将来の夢」は
小説家
だったのですから。
子どもの頃から、
クラスメイトたちをいいように取り入れた
「お話」を書くのが大好きだった、わたし。
(そんなことするから、いじめられるんじゃないか。どこかから、声が聴こえてきました笑)
その「禁断の趣味」は、
中学2年頃まで、続きました。
中2の頃のクラスが、担任の先生もふくめて、
男女問わず仲が良く、
のびのびしていて居ごこちよかったんです。
もちろん、彼らもわたしの「妄想」の餌食になっていたんですが、そうとは知ってか知らずか、
ウケがよかったんです。
わたしの「小説もどき」が、彼らのなかで。
うっそー! って感じですよね。
わたしも、クラスで、ちょっとヤンチャな男の子が、10何枚ものルーズリーフに綴られた、わたしの書いたお話を読んで、
「これ、おもしろいぜ!」
とか何とか言ってるのが聞こえてきたときには、ガチでビックリしました。
いったいぜんたい、わたしの作品は、どのルートから彼に渡ったのか。いまだにナゾです。
中3になると、受験もあることだし、さすがに妄想してる暇がなくなったので書かなくなりました。
あと、
「自作の小説とか、ひとに見せてたなんて恥ずかしい!」
と、新しいクラスになって、
目が覚めたんでしょう。
いま思いかえしてみても、けっこうな黒歴史。
それから、大人になるまで、日々の忙しさと、
「ひとに小説を見せるのは、ちゃんと勉強してからでないと」
とか、
「見せたとしても、ドン引きされるよね」
とか、だれに言われたわけでもない「思いこみ」をはずせなくて、ずっと書けずにいたのですが、
仕事が忙しくなると、
現実逃避したくなったんでしょうね。
また、妄想をつらつらと、書きはじめたのです。
今度は、パソコンに向かって、
ひたすらキーボードをたたいて。
ところが
書けないのです、昔みたいに。
途中まで書いて、オチが書けない、の
繰り返しで。
もどかしい日々のなか、瀬戸内寂聴さんの書籍を読んで、目を疑いました。
本のタイトルですか?
記憶から、こつぜんと消えました……。
何だとおぉぉーーー!?
そこには、
「コツさえわかれば、小説なんて簡単に書ける」
と、書いてあるではありませんか!
じゃあ、そのコツは?
と、本をパラパラめくりましたが、
載っていませんでした。
ほかの本を探しても、結果は、おなじ。
読みやすい文章の書き方、みたいな本はあっても、「小説の書き方」を教えてくれそうな本には、出会えませんでした。
小説の書き方を、知りたい……。
その欲求は、
「小説を完成させたい」きもちを養分に
すくすくと成長していきました。
わたしの心に、収まりきらないほどに。
小説講座に、通いはじめたら
そんな時でした。
県内の「某・市民大学」にて、小説講座を開講する、とのお知らせが、目に飛び込んできたのは。
でも、開講日は
毎週土曜日の、午後。
……悩みました。
土曜日といえば、
ピアノ教室でもブライダルの仕事でも、
「書き入れ時」。
教室では、平日ほかの習いごとで忙しくしている子たちが、土曜日のレッスンを受けたがるし、ブライダル市場なんか、言わずもがな。
繁忙期の土曜日なんか、朝から晩まで、ホテルにカンヅメ状態です。
それぐらい忙しい「土曜日」を、プライベートのために空けられるか……。
行きなよ!
これ逃したら、もう一生
小説の書き方なんか、習えないよ!
こころの奥底から、激しいノックとともに、叫ぶような声が、聞こえてきました。
そうだ、今しかない!
思いたったら、そのあとは、早かったです。
いままで、うだうだ悩んでいたのが嘘のように、あれほど固執していた「ブライダルシンガー」の仕事を、スパッと辞めました。
と、いっても、年内いっぱいで辞めます、というこちらの意向を、なかなか汲んでもらえず、結局、退職まで、年をまたいだ3月いっぱいまで、かかりました。
ピアノ教室のレッスン日程も、教室に頼みこんで調整し、土曜日は、午前中でレッスンが終わるようにしました。
こうして、小説講座に通いはじめたのが、
35歳を過ぎたころでした。
講座では、お話の作り方や人物描写の効果的な書き方など、すべてが新鮮な学びを得られました。
実際に、エッセイや短編小説を書いて、
講師の先生に直してもらったのが、
とても楽しかったです。
ダメ出しがキツくて、
ヘコむこともありましたが。
仕事に追われるなかで、夢中で毎週の課題をこなしていくうち、徐々に気分が落ち着いてきました。
パソコンに向かって、あたまの中にある文章を、ひたすら画面に起こしていくうちに、こころの中にあるモヤモヤが、すーっと消えていくのです。
ピアノ教室で、生徒たちに振り回されたり、オーナーに無理なお願いごとをされたりして、感じたぐじゅぐじゅっとした、黒いきもち。
挙式のときの、ピンと張りつめた、いまにも切れそうな、細い細いピアノ線、みたいな緊張感。
そういうものが、じぶんの「お話」をつくっていくうちに、なにか、わくわくしたきもちに変わっていって、こころの中が、きらきらしてきました。
あたまも、なんだかクリアになっていきました。
そして、1遍のエッセイが完成するたびに
1遍の短編小説が、完成するたびに
やった……書けた!!
味わったことのない達成感で、
いっぱいになりました。
そんな感じで、
寝食を忘れるほど、没頭できるものがあるっていいなぁ、と、嬉しくもなりました。
その、すーっと、こころが落ち着いて、わくわくした気持ちを取り戻せると、「生きている」実感が、ひしひしとわいてきました。
じぶんに「自信」も、わいてきました。
もっと、その実感を、味わいたい。
仕事以外のこと、すなわち「物語を書く」ことで、もっともっと「自信」をつけたい。
よくばりですね。
こうして、「書く時間」を取るために、仕事をセーブすることも、できるようになってきました。
けれども、この講座もまた、1年ちょっとかよったあと、夫となるひとと出会い、会う時間が土曜の午後しか取れない、という、せつない事情で、かようのをやめてしまいました。
それでも、思いきって、講座の門をたたいてみて、よかったです。こころから!
いまから、平謝りします。
noteの皆さま、ほんとうに……
ほんとうに、申し訳ないです。
次の見出しになる予定だった
Sazanamiの、いま
明日に、まわさせてください……(/ _ ; )
小説講座のくだりを、書きすぎて
記事が、ぜんぶできあがった頃には、
文字数が、まさかの
4,000字超え! していました……。
こんな「ひとりごと」記事に
4,000字は、ないだろう。
さすがに、そのまま出すのは気がひけて、
「Sazanamiの、いま」
全カット、いたしました🙇♂️
このぶんは、明日、
「続・重度のワーカホリックを脱したはなし」
という別記事に改めて
更新いたします。
すみませんが、皆さま
もう1日、おつきあいいただければ
嬉しいです🙇♂️
🙇♂️ 🙇♀️
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さいごまで、読んでくださったあなたへ
娘のエピソード、書けずに、
どんどん溜まっています😅
あさってには、通常運転です!
かわいい娘ちゃんのお話も
どうぞ、お楽しみに♪
いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。