【冬の3首】白熊杯・短歌
去年、俳句を始めてすこし後、
こっそり短歌も作っていました。
Sazanamiの名前の由来になっている
平成の名優・大杉漣サマの命日
2月21日に合わせて、
俳句だけじゃなく
短歌も作ってみよう!
という謎ルールを発動させたためです😅
短歌は、ほんとうに
その時期しか作らないので、
出すのはめちゃめちゃ恥ずかしいんです。
けれども、亡くなって5年経つというのに
まだまだ、
「漣さんの出ていた
ドラマや映画が見たいっ!!」と思うほどで、
強烈に寂しくなったり懐かしくなったり、
遺作となったドラマ「バイプレイヤーズ」のことも思い出して、楽しくなったりします。
いつまでも、こんなテンションではいられないかもしれないし、ずっと続くのかもしれないし、わからないですが、
漣さんのことを、ずっと憶えていたい。
そんか気持ちがあるうちに、
出せるものは出しておきたくて、
短歌、白熊杯で初参加です🙇♀️
冬の海ラストシーンは富津発
「行きますかね」と立ち上がる君
富津市は、千葉県にある海沿いのまち。
「バイプレイヤーズ2」のラストシーン
そのままです😅
右の画像、メガネをかけているのが漣さん、
その右隣が田口トモロヲさんで、
そのまた右隣が松重豊さんです。
冬凪の光きらきらさざめいて
五年経っても帰らない君
2月には、漣さんの
5回目の命日がやってきます。
「バイプレイヤーズ」で共演していた
松重豊さんや田口トモロヲさんが、
お別れの会のときに
「祭壇の花畑の中から派手な被り物で登場か」
「壮大なドッキリでは」
など、
漣さんが生き返るんじゃないか
みたいな趣旨のことを仰っていたのを
思い出します笑
サッカーに夢中の父ぞ冬日和
まだまだ行けるそこでシュートだ
漣さんはサッカーが大好き。
たしか高校でもサッカー部だったとか。
ふるさとのサッカーチーム
「徳島ヴォルティス」の熱狂的なファンで、
4年にいちどのワールドカップも
現地へ応援に行っていただけでなく、
なんと、自らのサッカーチームも
持っていました。
漣さんは実父とおなじ卯年生まれで、
生きていたら(沖縄では)
古希のお祝いの年(72歳)でした。
実父のお祝いのことを考えていると、
「あぁ、漣さんも」と、ふと思ったり。
ちなみに実父はサッカーじゃなくて
ゴルフが好きですね😅ナンノハナシ
実父のことまで書いておいてナンですが、
漣さんは、わたしの理想の
父親でもありました。うふふ。
おまけ
すみません、ここからは余談です。
心の短歌、載せてしまってますが、
応募のものではないのです🙇♀️💦
去年のワールドカップ。
漣さんのご友人で役者仲間の勝村政信さんが、
漣さんの遺影とともに、カタールへ現地観戦に向かいました。
「サムライブルー」着用の勝村さん。
漣さんの愛用していた帽子を被っています😭
そしたら、勝村さんの
日本代表の試合予想がことごとく的中。
ネットでは「預言者」と言われていたと
知って、なんだかウケてしまいました😆
改めまして、応募3首。
すべて大杉漣サマをうたっています。
冬の海ラストシーンは富津発
「行きますかね」と立ち上がる君
冬凪の光きらきらさざめいて
五年経っても帰らない君
サッカーに夢中の父ぞ冬日和
まだまだ行けるそこでシュートだ
うわー、まだまだ拙い。
皆さまの素敵すぎる応募首と
並べていいのかわかりませんが、
よろしくお願いします🙇♀️🙇♀️
いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。