【らべあろ企画】観光バスツアー 名城名勝巡り・東日本編〜春日山城〜
前回の西日本編に続きまして、
今回も参加させていただきました♪
らべあろ観光
名城・名勝巡り東日本編
で、ございます^ ^
もう始まって4日経ったんですね。
バスガイドさんの美声に酔いしれ、
山道を走るバスの心地よい揺れに身を委ね、
多賀城をぶっこむぞ
多賀城を、ぶっこむぞ
多賀……城……💤
(( _ _ ))..zzzZZ
(( _ _ ))..zzzZZZZ
((((;゚Д゚)))))))ハッ‼︎
いつのまにか寝てしまっていたようです💦
あくびさん、起こして下さりご指名ありがとうございます✨
バスは富山城を過ぎていきました。
140センチってすごいですね。
戦のときに、そんな長い兜を見かけたら
体がすくんでしまいそうです。
その兜が、城内に残されている。
兜の置かれた空間に漂う
ほんの少しの不穏な空気を感じますが、
すぐに仲間とわいわい
楽しいひとときに戻れるのは、
季語が「春愁」だからのような気がします☺️
ここで、コースをおさらい。
バスは富山から新潟へ。
上杉謙信公の居城、春日山城へ向かいます。
忘れないうちに一句。
春の山降魔の軍の居城なり
春日山城は、
越後の武将・上杉謙信公の本拠地。
築城されたのは戦国時代……
ではなく、南北朝時代なんだそうです。
越後の上杉家(謙信公の子孫かな?)が築城し、
15世紀に、越後の覇者となった謙信公によって、山全体を「天然の要塞」にした今の姿に改修されました。
Wikipediaによると、現在、
本丸などの建造物は
すべて跡地になっています。
残っている建造物は、復元された毘沙門堂や
城の近くにある林泉寺の惣門などです。
この山の斜面に、直江兼続など
家臣たちの屋敷が転々と並んでいたそうです。
直江屋敷跡を進むと、謙信公の信仰がうかがえる「毘沙門堂」のある、城の中枢に出ます。
毘沙門堂のある曲輪の切岸は、
土塁を築く必要のないほど
急な斜面なんだそうです。
あぁ、なるほど!
毘沙門天って、
悪魔を降ろす神だったんですね_φ(・_・
自軍を降魔の軍とみなして……
だから、上杉軍はあんなに強くて
武田軍と川中島で7度も激突していたのか……
すこし話が逸れますが、
放送中の大河ドラマ「どうする家康」の
武田軍が、それはもう恐ろしくて恐ろしくて。
あの赤揃えの大群が咆哮する姿なんか見ると、
目を覆いたくなってしまうほどです。
阿部寛の演じる武田信玄も、底知れない恐さがあって、さくっと作戦立てて大勢の兵を集めたかと思うと、今川領だった駿府や遠江も簡単に切り取って((((;゚Д゚)))))))
なんていうか、敵をつねに秒殺している感じ。
そんな恐ろしい武田軍が、
7回も戦でやりあっても倒せなかった上杉軍。
よほど強かったと同時に、
敵地に塩を送る懐の深さや、
敵の弱点をついて勝とうとしない潔さも
兼ね備えた立派な武将だったんだなぁと、
改めて感じさせられました。
息子の景勝や、その重臣の直江兼続も
義にあふれた武将でしたね。
2009年の大河ドラマ「天地人」で、
北村一輝(景勝役)と妻夫木聡(主演・直江兼続役)を通して、2人の「義」に生きた人生を堪能させていただきました。
そういえば、2016年の大河ドラマ「真田丸」では、上杉景勝を遠藤憲一さんが演じておられました。秀吉(上司)と兼続(部下)の間で板挟みになり、それでも「義」を通したいと葛藤する姿に悲哀を感じて面白かったです。
名城・春日山城の「その後」
謙信公の死後、
春日山城は息子の景勝が治めていました。
ところが1598年、天下人となった豊臣秀吉の命で、上杉家は会津へ転封となり、越後を離れることになります。
代わりに堀秀治・堀忠俊の親子が入城しますが、彼らは春日山城を「政治には不向き」とみなし、福島城という新しい城を、越後の海沿いに築城したのです。
これにより、春日山城は
1607年(慶長12年)廃城。
南北朝時代からの歴史に幕を閉じたのでした。
城の入り口に位置する「春日山神社」で御朱印をもらえたり、観光客の増加に伴ってすり減ってきた山頂に土を運ぶキャンペーンなども行っているようです。
登ったあとは笹団子でエネルギー補充😋
次のお城は弘前城。
いつも「俳句幼稚園」にて
ご指導いただいています。
橘鶫さん、お願いできますでしょうか🙇♀️
お城はもちろん、
どんな鳥さんに出会えるのかも楽しみです♪