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みらいのはなし

こんばんは!1週間以内に二回も投稿するなんて、このnote始まって以来の快挙です!突然ですがわたしはマラソンがとても苦手でして、どうしてもペース配分が出来ず最後のほうはいつもバテバテになるのですが、(体力不足という可能性もあります。)小学生のころの持久走でゴールの瞬間に自分だけやたら拍手されてるなぁと呑気にゴールしたら実は最下位だったというじわじわ恥ずかしくなってくる思い出があります。

つまり言いたいことはわかりますね???前半飛ばしすぎて後半ダメダメになる人間がこのようなペースで更新しているということは、ずばりこの投稿ペースもいつまで続かないということです!ごめんなさい、まるこちゃんが大好きなんです。

そんなことはさておき、先日一年ぶりにばーちゃんに会ってきました!わたしは8歳ごろまで母方の祖母に育てられたので、超超超ばーちゃん子です。それにうちのばーちゃんはナウい精神の持ち主ですので、わたしより現代の事情に詳しかったりします。NiziUのが流行りだしたことも、ばーちゃんに教えてもらったくらいです。まじで。ちなみにばーちゃんはMAKOちゃんを応援しているとのことでした。

三連休中ずっとばーちゃんと一緒にいたので週の前半はしっかりばーちゃんロスになっていました。ばーちゃんロスまでがばーちゃんに会うということですからね。(遠足的なノリですつたわれ~~)そしてそんなばーちゃんロス中は必ず、ばーちゃんが死んでしまったらということを考えてしまいます。

というのも、二年半前に母方の祖父つまりじーちゃんが亡くなり、より死を意識するようになりました。

初めて身近な人の死に直面したのは中三のころだったので、約6年ぶりに死と直面したわけですが、いやあんなもん慣れるわけがありませんね。死に対する感情って、理屈が通じないじゃないですか。寿命といえばそれまでだけど、死んでしまったことに対してもう会えないという苦しすぎる事実に対して、仕方ないかと思える着地点なんてないじゃないですか、ていうかあってたまるもんかって感じです。

すごく大切な人が死んでしまっても、どれだけ悲しくてやり切れなくても生きている限り生活は続きます。そうして”死”から時間が経てば、その人がいないという非日常がだんだん日常になって、思い出さないことも増えるかもしれません。だから平気になったように思うけど、それでもふと思い返せばきっと悲しいと思います。死に対する悲しいが風化することはないですよね。

だからこそ、まだまだ小童ですが死に対するそんな考えがあるからこそ、これから直面するであろう身近な人たちの死が怖くてたまりません。大大大好きなばーちゃんが死んでしまったらと考えるだけで、ダバダバ泣いてしまいます。我ながら優しい子に育ちましたね。すみません、画面を閉じないでください。

でもいつかはそういう時が来ます。嫌だけど、来ます。だからその時にどう向き合うか考えました。結論、全然分かりませんでした。絶望しかけました。が、唯一光を見出すなら、たぶん未来の自分が考えると思います。なんという他力本願!というか未来の”自分”なので、他力でもない気はしますが、、、でもとにかくその時の自分には今よりももっと生きる意味が出来ていると思うんです。

それが何かはわかりません。家族かもしれないし仕事かもしれないし胡散臭い副業に精を出しているもしれません。出来れば最後のそれには是非手を出さないで欲しいものですが、きっと未来の自分はそうやって何とか生きていくと思います。ていうか、上でも書いたように生きている限り生活が嫌でも続くことは織り込み済みなわけで、だから出来るだけその生活を楽しく前向きなものにするために今も日々自分と対峙しているわけで、泣きながらばーちゃんへの思いも忘れぬまま、ちょうど最下位を走ってたあの時みたいに何とか進んでいくんだと思います。

そしていつか自分が死ぬとき、「まぁいろいろあったけど、結構頑張ったじゃん自分~」と思いながら眠れたらそれはそれは理想的な最期です!でもわたしは最下位にすら気づかず、哀れみの拍手を称賛と捉えるような人間なので、「え?死んでたん?」ってなりそうな気がしなくもありませんが、あまり先のことは考えず今を精一杯生きます!

もちろんペース配分はしつつですが。手始めに来年の有給はもっと計画的に使いたいです。いや志、低!!まぁ千里の道も一歩から、一有給からですね!

画像は、原点にして頂点です。

また次回!

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