久しぶりに夢を見たミーハーヲタクの話
気がつけば、真っ白な空間の中で真っ白な少女が目の前で白紙の本を読んでいた。
「あら、久しぶりね」
さっきからこちらを見ていたくせに、いかにも今気がつきましたみたいな声を上げて少女はゆっくりとこちらへ近づいてきた。
自分より頭ひとつ分は小さい、人形のように華奢な体躯をくすくすと揺らすと手に持った本でゆっくりと顎をなぞりだす。
「夢を見ない……いいえ、夢から目を逸らす時間は楽しかった?」
答えることのできない私をよそに、彼女は楽しそうに声を上げる。
「知っているでしょう? 覚えているでしょう? あなたはあなた。そして私もあなた。だってここはあなたの夢、あなたの世界。そしてあなただったものの残骸たち」
くるりと背を向けた少女が一歩踏み出すたび、その足元からきらきらとしたものが広がっていく。真っ白だった空間は地面だけが水底のように輝いていく。
「綺麗で素敵よね。ほら、これはあなたがいらないと捨ててしまったもの。こっちはあなたが欲しかったけど壊れてしまったもの」
少女が拾い上げた"もの"がきらきらと真っ白な服に反射して七色を映し出す。そしてそのまま放り投げられたものが、放物線を描いた先で目に見えないほど小さくなっていく。
ものをそんなぞんざいに扱うもんじゃない。
地面から引っ張り出した泥の塊をそっと元の場所に戻しながら、私はなんとかそれだけを声に出す。
それを聞いたまた彼女はくすくすと笑って、どこからか出てきた安楽椅子へ芝居がかった仕草で座る。
「あなたにとって大切なものでも、私にとっては大切なものじゃないわ。あなたが肯定するものを私は否定する。あなたが否定するものを私は肯定する。鏡写しというにはあまりに稚拙だけど、それが私だもの」
きぃ、きぃと規則的に揺れる音が空間を振動させる。少女はそのまま背もたれに身を預けて、上を、真っ白な空を見上げて大きく息を吐いた。
「だからこそ私は消えたかった、あるいは消えてほしかったのよ。燃える幻想に抱かれて暗がりで眠る少女のように、夢半ばで泡沫へ還る人魚のように。清らかに美しく華やかに。死ねもしない、かといってまともに生きることも出来ないどっちつかずの醜い怪物に成り下がるのなら、その前に終わりにしたかった」
言いながら左手を空へ向かって伸ばすと、右手に持った鏡の破片を小指の先から腕を伝って心臓へとゆっくり滑らせる。病人のように白い肌から開いた傷口からは血の代わりにきらきらとしたものが流れていく。
「だってそうよね、怪物になったところで魔王ですらないあなたを終わらせてくれる存在はもういない。世界は平和で、勇者はどこにもいなくて。路傍の石を気にかけるのは蹴り飛ばすための無自覚な悪意だけ」
つられて私も、空を見上げゆっくりと右手を伸ばす。だが当たり前のように空を切って何も掴むことはなく。それを貸してくれと少女の右手を指差すと、あなたにはまだ早いわと鏡の破片をゴクリと飲み込んでしまった。
行き場を無くした手をそっと首元にかけ、夢の中ですら死人のように冷たい手の感触にぶるりと背筋を震わせる。
「思い出してきた? あなたがここに来る前に何をしていたのか。どうしてここに来たのか。いつもそうだったでしょう? ブリキの心臓、臆病な心、大鋸屑の詰まった脳味噌。旅を始めるには十分な理由だったけど、それだけでは旅を続けられないのよ。残念だけど」
よいしょ、と椅子から立ち上がった少女は再度こちらへ近づき、胸元をえいっと小突く。無抵抗のまま後ろへ倒れる私はいつの間にか地面に敷かれた柔らかな布へ仰向けに倒れ込んだ。
「旅はいつか必ず終わるわ、普遍はあっても不変はなかった。永遠は一瞬の中にしかなかった。あなたの想いも願いも正しく間違っているからそれはきっと、あなたに素敵な傷痕を残してくれるわ。そうしたらまたいらっしゃいな、今度はお茶会を開きましょう。だから今は、ね」
彼女の手がそっと、私の目を覆い隠す。
暗闇に包まれた私は自然と目を閉じる。どこか懐かしい感覚を味わいながら最後に聞いたのは、少女の柔らかい声音だった。
「おやすみなさい、良い夢を」
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