【雑記】日本語で遊ぼう
諸兄諸姉の皆様方こんにちは。あるいははじめまして。
幾崎ふぁんと申します。
だいたい一ヵ月ちょっとぶりのnote。
年内の更新予定はなかったのですが
血族から『書かないの?』と威圧されたので此度再び筆を取ってみました。継続は力なりと。
これからは月一もしくは隔週の更新(予定)(未定)(不定)
本当にネタに困ったら幾崎ふぁんという名前の由来でも書きます。
前回のような書き方をするのは中々にカロリーが高いので、
基本的には誰もいない部屋で一人呟くのと同じくらい気楽に書いていこうと思います。
前回はプレイ。今回はプレイ。ようは下を向くことに変わりないってことです。
そんなこんなで今日は普段、頭の中でしている
言葉遊びでも公開して後悔しようと思います。
明確な答えの無い思考は舌先で転がすのにちょうどいいので。
・人間はどこからどこまでを人間と捉えるのか
なんだかわけわからんこと言ってる風に見えるかもしれませんがその通りです。
といってもそんなに小難しいことを考えているわけではありません、なぜならついさっきHELLSINGを見た後に書いてるので。
人外萌えの延長だと思ってください。
吸血鬼は いいぞ
前は東方projectにハマってた時によく考えていた話なのですが、(妖怪と妖怪の間で暮らせば『ようかん』っていうギャグ……)
最近特にバーチャル……VRの技術でなくvtuberの方とかですね、
に関心を持つようになってからまた少し考えるようになりました。
バーチャル。それからvtuber。と連なる2D3Dのアバター技術。
リアルからすると仮想であり仮装であるそれに対して、私はひどく人間というものを感じることがあります。
人間味とでもいいましょうか。あるいは魂と呼ぶべきかもしれません。
まあ普通に今現在のわたしの常識で考えたとして、バーチャルの向こう側にあるリアルな人を感じ取っていると見るのが妥当なのですが。
もし仮にその向こう側の人がいなかったとしたら。わたしが見たものが0と1の集合体だったとしたら。
人のいない先に人間を見たとして、わたしは何を人間と認識するのか。そういう思考の嗜好の趣向の話です。
人と人の間と書いて人間。英語だとhuman beingらしいです。
意訳的に直訳――英語ができない人が一語ずつエキサイト翻訳にかけるの意――すれば、人であること。
人間であることを是とする要素はどこにあるのか。
人間。人と人の間、人の営む社会の中。
社会に連なる、溶け込む、混じり合う。はらから。やから。
人間の大多数は人であることは疑いようがないけども人間の少数が人である必要もない。
肉体の有無ではなく、人である必要は無く。
己の意志をもって人の営みの中に生きるモノは人間であると。
だから少佐は化け物だったんだろうなぁ。
などと思い至ったところで短いですが今日はこのあたりで。
吸血鬼とケイ素生命と遊べる時代を夢見て。
コミケの原稿とスマブラやらなくちゃ……
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