24歳になり、祖父が他界し、修論が終わった。
この数週間、ちょっと色々なことがあったので、気持ちの整理が追い付いてはいないのですが、追い付いてないまま徒然に。
1月19日、24歳の誕生日を迎えました。
2017年からの3年間、年始に一年の抱負をペライチにしていたのですが、今年は年末年始が修士論文の大詰めでそれどころではなく。せめて誕生日には、ちゃんと一年を振り返り、2021年に向けて気持ちをつくろうと思っていたのに、その余裕もありませんでした。今、ようやく2021年に向き合うことが少しずつできるようになってきました。
修士課程に進学し、かつ大山町の地域おこし研究員として活動させていただいた2年間、もっとも苦戦したのは自分の心との葛藤でした。特に修士の1年目、授業や研究会での先生方や先輩、同期のみなさんとの議論の中で、周りと比較して、自分の考えを言語化する能力の低さに打ちのめされました。もともと自信がある方ではないうえに、かすかにあった自信が砕けて、そこに挑むことをせずに、無気力な日々を過ごしていました。もっとも、変なプライドと本番だけそれっぽく乗り切る力は多少あって、近しいごく一部の人にしか、僕のそういう状態は見えてなかったとは思うのですが... それが余計に自分を苦しめました。
2019年の夏に鳥取に戻ってくるくらいのタイミングで、そんな自分の状態をようやく客観視することができ、どん底からは抜け出すことができました(どうやって抜け出せたのかや、どん底に落ちて学んだことは、また改めて書きたいと思っています)。
2020年後半、修士論文を書くことで、自分が目指してきた世界観や取り組んできたことにどんな意味があるかが、ようやく言語化できつつあることを実感できるようになりました。「そうか、だから研究することに意味があるんだ!」ととっても腹落ちする経験をし、ちょっとずつ自信が持てる部分が出てきました。
だからこそ、2021年、なかなかワクワクしています。2年間の蓄積が、ちゃんと今後の実践につながる予感がしています。「ゴリゴリ行動していきたい!!」「楽しいこと、面白いことを、自分自身が面白がりながら形にしていきたい!!」そんな意欲に溢れちゃってます(笑)
具体的に2021年、何に挑戦するのかは、これもまた改めて書きたいと思いますが、心の側面としては、「自分の弱さに向き合うこと」と「周りに素直に状況を伝え、頼るところは頼ること」が自分のチャレンジかなと思っています。
そんな矢先、1月28日に父方の祖父が他界しました。落ち着いたら会いに行けたらと思っていたのですが、コロナもあって中々そういうわけにもいかず、そうこうしているうちに旅立ってしまいました。年末から、いよいよかもという連絡は受けていたので、ある程度の心構えはできていましたが、それでも心はけっこうかき乱され、夜ひとりになって何も手につかなくなったり... 「祖母(4年前に他界)のもとに行けたんだな~」ということが心の救いです。
祖父は弁護士をしていました。おしゃべりな祖母の隣で、物静かにいつも穏やかな表情をしていました。そんなに多くを語る人ではなかったのですが、時々お茶目なことを言い、松浦家の家族を優しく包み込んでくれているような人でした。中高時代、日本でまだマイナーだったであろうサッカー部でキャプテンを務めていたということが、小学校からサッカーにのめりこんだ僕としては、嬉しい祖父との共通点でした。
そして、なんといっても、何事も黙々と、そしてコツコツと取り組む人だったことが、僕にとって尊敬すべき人生の先輩としての祖父の姿でした。祖母が他界し、仕事も引退して施設で暮らし始めたころから、祖父は自分史を書いていました。昨年の秋ごろそれが完成し、叔母の手によってきれいに製本されて手元に届きました。まだ、読めてないので読むのが楽しみです。
そんな出来事があった中で、2月1日にはようやく修士研究の最終発表が終わりました。論文はかなり自分でも納得感がある精いっぱいの完成度で書くことができた気がしているのですが(もちろん課題もいっぱいあります)、発表についてはうまく伝えることができなかった要素が多かったです...
「まっ、伸びしろですね~」ということで、小さなチャレンジを続けながら、毎日精いっぱい自分らしく過ごしていきたいと思います。
まだまだ、未熟だなあ。24歳になった自分。みなさん、今更ながら2021年もよろしくお願いいたします。
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