なぜ 恋をして来なかったんだろう?(仮)
櫻坂46が昨日12月9日(水)にデビューした。色々あったグループだけれど、クリエイター陣が素晴らしい楽曲を提供してくれたおかげで、また楽しい日々が蘇りつつある。デビューカウントダウンライブで披露された収録曲はどれひとつとして同じような曲はなく3人のセンターの個性が引き出された魅力に富んだものになっている。私はどれも好きだが音源のみだとやはり表題曲のNobody’s faultは気合いが入っていて良いなあと思う。
さて、今回は、ライブ中に藤吉夏鈴ちゃんが語っていた違う解釈とは何かについて考える。というか彼女がどう考えたかはわからないけど、「こういう解釈ありそうじゃない?」というのを提案したい。
「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」問題である。
このタイトルは、なぜ自分が恋をして来なかったのかを後悔する歌を普通は想像させるがそうではないみたいだ。
簡単に言えば、周りが愛だ恋だと騒ぎ立てている状況や、ことさら強調される幸せアピールにウンザリしていた主人公が、いざ初めてできた彼氏に首ったけで「恋はやってみると素晴らしい!!!みんなもしよう!!!!!」と鼻息荒く心変わりしちゃった話だ笑
でもよく聴いてみると、別に愛や恋に浮かれてるだけじゃないなってのも伝わってくる。例えば、以下の部分。
でも恋をしてみてわかったんだ
人は何のために生きるのか?
巡り会って 愛し合って 無になって
自分じゃない ホントの自分 見つけたい
恋は主人公になるべきよ
幸せは参加すること
このような歌詞を見ると、秋元康という作詞家がなぜ何十年にもわたって活躍して来られたのかがよく分かる。ここから読み取れるのは、恋は本当の自分を見つけるためにするということだ。
そんな考えてみんな恋してないでしょ
好き好き好き好き言いたいだけでしょ
性欲満たしたいだけでしょ
寂しさを紛らわせたいだけでしょ
というごもっともな声はさておき、それをひっくるめて冷静に考えるとそこに行き着く。まぁ、そんなの“良い恋”を体験したことがある人なら誰だって分かるでしょという話なのだが、それを歌詞にコンパクトにまとめるのがすごいのだ。特に、“無になって”という歌詞が非常に意味がある。
で、それについて細かく説明しても面白いのだけど、藤吉夏鈴ちゃんの考える解釈は別に恋愛的な解釈じゃないと個人的には思っているのだ。
個人的に考える解釈は、彼女自身が欅坂46から櫻坂46に至るグループに加入して活動してきたことに対して思いを馳せているんじゃないか?って解釈だ。
もちろん、欅坂46に入る前に、欅坂を馬鹿にしてきたとかそういうことを言いたいわけじゃない。ただ、欅坂に入ることで彼女が今まで体感したことのない高揚感や満足感が得られたということは想像に難くない。そして、欅坂に加入してみて、自分のグループにおける存在意義を嫌でも考えざるを得なくなったり、メンバーやファンとの新しい出逢いやそのような人たちとの想いを深めていくことに喜びを覚えたりしたのだろうが、欅坂の難しい状況とコロナ禍のもとで、何のために生きていくのか、アイドルとして自分ができることが何なのかに絶望して無になってしまったこともあると思うのだ。
でも、そうした経験は決して無駄にはならなかった。というか、無駄にせず頑張っていこうと彼女は前向きに考えている。何事もやってみなければわからないし、自分が主人公として前に立つからこそ見ることのできる景色がある。その過程で、知る由もなかった自分の本当の気持ちに気づくかもしれない。櫻坂46における、自分の存在意義も何となく見えてくるかもしれない。だから、日々ドキドキハラハラキュンキュンしながら、過ごしていこうじゃないか!!って思って活動しているのだ(と私は想像している)。そんな感情を抱くことが櫻坂にも割とあると思う。
彼女が醸し出す、“何を考えているのか掴みづらい不思議な雰囲気”はそんな恋愛を超えた人間らしい感情を思い起こさせる。だから、これは単純な恋愛曲じゃない。人生に躊躇っている人に対して、「気負わずやってみたらなるようになるさ」と背中を押す前向きな曲だ。そういう曲っていいよね。
Just do it!