【芸術雑談#5】 私の音楽人生その1 - サックスに片思い
どうも。いくらと納豆です。
今回は、私という人間から切っても切り離せない「私の音楽人生」について、成仏させたいと思います。長くなったので前後編でお送りします。
飽き性の浮気性である私が唯一続けられた「音楽」
突然ですが、私は「飽き性の浮気性」です。
「これ面白そう!」と思ったものは手当たり次第挑戦してみるものの、長く続くことはありませんでした。
何やったかな。
習字、水泳、絵画、英会話、スポーツ教室、バスケ、ダンス、ピアノ…。
まぁ、転勤もあったから続けられなかったものもあるけど、でも、長く続いたものがないんですよね。この中で一番長いの「英会話」かな。
子供の頃ってゲームに熱中する子が多いと思うのですが、私はRPGゲームが大の苦手。セーブポイントまで行かないとデータが保存できない…みたいなのが苦で苦でしょうがなかった。
そのため、子供の頃はセーブしないでもすぐ止めれる音ゲーとか格ゲーばっかやってました。ダンレボとか、ギタフリとか、ビートマニアとか、ストファイとか。
そんな「飽き性で浮気性」の私が、唯一、大人になるまで続けられた趣味が「音楽」だったんですよねー。
今回はそんな私の音楽歴について紹介したいと思います。
成仏させるために長文です。あしからず。
【幼稚園】ピアノには興味なかったらしい
大人になって「なんで私はピアノをやってこなかったのだろう、お母さんヒドい!」と思うことがよくあります。ピアノができると、いろいろ基礎ができるからね。
しかし、母曰く「みんながやってる事はやりたくねぇ」という、とんでも理論でピアノは続かなかったような。この頃から私は変だったんだろうな。
【小学生】スポットライトの快感を知る
小さい頃から歌うことが好きだった私。
たまたま親戚からもらったディズニーの「Disney Sing Along Songs」ばっか見ては歌い、見ては歌い。この頃からディズニーが大好きで、字幕なしの英語で何言ってるかわからないシンデレラを擦り切れるほど見てました。
そんな子供だったからか、小学校の授業では音楽が一番好きでした。当時の音楽の先生が面白い女の先生で、「だらぶち」が口癖だったの今でも覚えています。
ここからは昔すぎて記憶が曖昧なのですが。
音楽の先生から「ソロで歌わない?」と誘われ、地域のコンサート?コンテスト?で一人で歌うわけです。緊張のあまり、自分の番号を忘れ、舞台上で胸についている番号をチェックしたの、今でも覚えてます。
それがきっかけで、音楽の先生から「合唱団のオーディションを受けない?」と誘われ、たまたまその時に発足しようとしてた少年少女合唱団のオーディションを受けることに。「まぁ、別に落ちてもいいし、オーディション受けるだけ受けるかー」と、あまり真剣に考えずに受験。
まさかの「ソプラノで合格」
ここから私の音楽人生が始まるわけです。
石川県は音楽が盛んなのか、小学校にもブラスバンド部があったり、私みたいに合唱団に所属したり、今考えると芸術やるにはとてもいい環境だったなと思います。
だって、合唱団の本番、プロオケバックに歌うんですよ。
オペラ歌手と一緒に歌うんですよ。
(中島啓江さんと一緒に歌ったことあるんやで。すごいやろ。)
(カルメンとエスカミーリョと一緒に歌ったことあるんやで。すごいやろ。)
そりゃ、楽しいに決まってるでしょ。
そりゃ、スポットライトが忘れられなくなるでしょ。
そんな合唱熱も2年ほどで過ぎ去り、次は「演劇」に興味を持ち始めます。
「夢を叶えようプロジェクト」的なやつで「大きな舞台で演劇がしたいです」っていう仲良しのお友達の夢が見事当選。混ぜてもらいます。
セリフを言ったり、歌ったり、踊ったり。
演劇の先生もついてくれて、楽しかったな。
そりゃ、スポットライトが忘れられなくなるでしょ。(2回目)
まぁ、幼い頃にあの快感を覚えちゃうと、もう麻薬です。
芸術に打ち込んだ私は、残念なことに小6に上がるタイミングで転勤。
でも、幸運なことに、転校した小学校の音楽の先生も、なかなか変わった人で面白い先生でした。この時は「埼玉って文武両道だなぁー」と小さいながらに思ってました。
この時に「絶対、吹奏楽部に入る!」と心に決めるイベントが発生します。
かなり、動機は不純。
「サックスを吹いてるお兄さん、かっこいい!!(キラキラ)」
たまたま小学校に近場の高校の吹奏楽部が訪問演奏に来ていて、コンサートを聴きにいきました。そしたら、もう、サックス吹いてるお兄さんがかっこよくてかっこよくて。
そんな不純な動機で
「中学入ったら絶対吹奏楽部に入る!!」と決意。
音楽の先生にも「サックスとトランペットどちらがいいと思いますか?」と相談するほど、真剣に吹奏楽部に入るための情報収拾をしてました。
「唇の厚さからすると、サックスの方があってるんじゃない?」
たらこ唇の私はその言葉をきっかけに「サックスをやる!」と決意します。
【中学生】アルトサックス争奪戦に敗北
中学校では吹奏楽部に入ってサックスを吹くんだ!とメラメラしてた矢先、突然愛知県への転勤が決定。あんまりだよね。だって、通う予定だった中学校の制服のサイズも測った後だったのに。
両親、まじですげぇな、と思いますが、秒で住む地域の比較検討、実際に実地調査を終わらせ、転勤族が過ごしやすいエリアに決定。
吹奏楽部でサックスを吹く夢を持ち、制服も可愛いところだったからウキウキ気分で中学に入学。
ここで私は厳しい現実を突きつけられるのです。
「アルトサックス1本しか空いてないから、じゃんけんで。」
そう、当時、映画「スウィングガールズ」の人気もあり、サックスが大人気。学校楽器が1本しか空いてないということで、それを5人でじゃんけんをすることに。
見事に敗北!!
絶望を味わいました。ずっとウキウキしてたのに。あんまりだよ。
残る選択肢は「チューバ」or「パーカッション」
(頭を抱える私…)
悩んだ末、ドラムできたらかっこいいよね、ということで「パーカッション」を選びます。ここから私の吹奏楽人生が始まります。
私の中学校は部活があまり真面目ではなく、音楽に全く興味がない家庭科の先生が顧問をしていました。(今、大人になったら周りに教員もいるので、部活大変だったんだろうなと思いますが。)
そんな学校だったので「楽器買ったらパート移動していいよ」という、なんとも自由な学校でした。
パーカッションで中1のコンクールに参加した後に、私は祖父に「サックス買って!!一生大切にするから!!」と懇願し、アルトサックスを買ってもらえることに。
楽器屋さんが「YAMAHA」と「YANAGISAWA」のサックスをお家に持ってきてくれまして、たまたま祖父の苗字が「栁澤」だったため運命的な出会いで「YANAGISAWA A901 II」を購入。相棒を迎えます。
やっと念願のサックスを吹けることに。
ですが、そんな中学校ですから、指導者もコンクール前にクラリネットの先生がちょちょっと指導して、コンクール終わったら自由!という状況。
独学でサックスを毎日練習する日々。
この頃は、中学生でお金もないから「お!中学生集めてプロの講習が無料である!行こう!」とか、笑ってコラえてをみて世の中の吹奏楽部員はこうやって練習してるのかとか、もがいてたな。
高校〜社会人まで書いたら長くなりすぎたので、一旦ここまで。
おわり。
後編へと続く