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第15話 関東大震災と外交(授業第9回)

(表紙の画像はAIによって作成された)

災害は忘れたころにやってくる、といいます。永久に忘れたくてもそうはさせてくれません。せっかくの経験ですから、それを次に活かすことを考えましょう。


教科書での関連する記述

地震と火災によって東京市・横浜市の大部分が廃墟と化したほか、死者・行方不明者は10万人以上を数えた。社会不安が高まる中で、朝鮮人が暴動をおこしたという流言を信じた人々が自警団をつくり、彼らや軍隊・警察の手で、多数の朝鮮人や中国人が殺害された。

佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、pp. 276-277。

流言により多くの朝鮮人が殺害された背景としては、日本の植民地支配に対する抵抗運動への恐怖心と、民族的な差別意識があったとみられる。

佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、p. 277、n. 3。

忘れてならない過ち

関東大震災のさなか、朝鮮人・中国人が人の手で何人、殺されたかは確定しがたいが、数十人単位、数百人単位の報告がいくつもあることから、集計すればそれぞれ千人以上と数百人に上ったと考えられる。

朝鮮は植民地とされて、虐殺の真相を追及できるだけの有力な主体がなかった。他方、中国は軍閥の割拠で弱っていたものの主権国家だった。1923年12月、調査団を日本に北京政府が派遣した。当地の新聞によって、多くの同胞が被害にあった情報が報じられていた。地震と火災によって死んだ者がいたことはもちろん、流言を信じた自警団など民間人の手により殺された者がいた。さらに、軍隊・警察によって不当に殺された者もいだ。

上は、外務省に保管された書類であり、国立公文書館のウェブサイトで見ることができる。「0184」と下に記されたコマは「支那人ニ関スル報道」と題し、大地震5日後の9月6日に警視庁外事課長が語ったものだ。流言に基づく虐殺は真実だったのだ(「本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係 2.大島町事件其他支那人殺傷事件 分割1」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013322800、本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係(I.6.0.0.5-2)(外務省外交史料館))。

こうした事実の検証は今井清一氏の『関東大震災と中国人虐殺事件』に詳しく挙げられてれている。同書によると、軍人によって中国人労働運動家が殺害された王希天事件は真実だった。日本人の社会主義者を軍人が危険人物とみなして殺した甘粕事件と同じ構図だ。

調査団の王正廷団長は相当の高官だったので、山本権兵衛総理大臣に会い、王希天事件についての対応を求めた。

リンク先の「0280」から「0284」だ。後日の東京駅での会話というのは、こりゃ何だ?  しっかりした捜査の結果とは思えない(「本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係 2.大島町事件其他支那人殺傷事件 分割2」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013322900、本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係(I.6.0.0.5-2)(外務省外交史料館))。

もし会話のとおりなら、書類が残されていようから、それを見せればよいだけだ。お茶を濁すとはこういうことだろう。

日本は見事、隠しおおせた、ということになろうか。私はこれで日本は嘘つきになってしまったように思えてならない。とっくにそうなっていなかったならの話だが。

忘れてならない恩

人付き合いはありがたいと感じることもあれば、重たいと感じることもある。物をもらったら、重く受け止めるべきか、気にしないほうがよいか、悩んでしまう。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/taisho12_1_13.pdf

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/taisho12_1_14.pdf

日本は多くのものを受け取った。『日本外交文書』と『フォーリン・リレーションズ・オブ・ザ・ユナイティッド・ステイツ』には、アメリカ合衆国の赤十字から大量の物資が贈られたことが書かれている。

目立って援助を集めたのは東京帝国大学の附属図書館だった。多くの本が焼け、多くの国が本を寄贈した。

図書だけでなく、建物そのものを寄付する者が現れた。アメリカ合衆国のジョン・ロックフェラー・ジュニアだ。同図書館のウェブサイトに下の記述がある。

建設をめぐる斎藤博駐ニューヨーク総領事と幣原喜重郎外相のやりとりも、国立公文書のウェブサイトで閲覧できる(「5.東京帝国大学図書館復興ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B12082010400、図書館関係雑件(3.10.2.30)(外務省外交史料館))。断片的な記録でなく、まとまった記録もどこかに所蔵されているかもしれない。

さらに、ロックフェラー財団は教育研究施設である国立公衆衛生院も提供した。こちらについては内務省を巻き込んで大量の文書が残っている。

まとめ

災害時には自分のことで精いっぱいになる。国家は引っ越しができないし、死にもしない。それだけ、個人よりも、今後の交際を考えて、苦境を乗り越える必要がある。

記録はどうしても残ってしまうのだから。「崔杼、其の君を弑す」だ。

課題

  1. 「本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係 2.大島町事件其他支那人殺傷事件 分割1」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013322800、本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係(I.6.0.0.5-2)(外務省外交史料館)におけるコマ0184「「支那人ニ関スル報道」にもとづき、「大島町支那人殺害事件」の口実とされた朝鮮人による放火は確認されたか、されなかったかを述べなさい。さらに、確認されたか、されなかったか、は同文書のいかなる表現から判断されるか、直接引用したうえで解説しなさい。

  2. The Secretary of State to the British Chargé (Chilton), November 24, 1923, _Papers Relating to the Foreign Relations of the United States, 1923, Volume II ( https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1923v02/d433 )には、いつ、誰が、どこで、どのような活躍をしたか、が述べられているか? できるだけ詳しく描写しなさい。

  3. 立教大学教授だったポール・ラッシュは関東大震災後における聖路加国際病院の再建に対し、いかなる活動によって貢献したか? 調べて書きなさい。

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