第17回 満洲事変は居留民保護の仕組みで拡大(授業第11回)
(表紙の画像はAIによって作成された)
外国で身の危険を感じたら、最後は出国しなければならないでしょう。
しかし、かつては違いました。居残るのです。自国民保護は世界で認められた権利でした。
紛争のニュースを見ると、満洲事変の様子を私は思い浮かべます。満洲開拓は世界でよくある入植の一つでした。引っ越しでなく入植なのは、まわりに自分たちと同じ文化の集団がいないからです。
二つの集団が異なる忠誠の対象を持ち、一つの土地に住むと、もめごとが起こります。それほど共生は難しいです。
教科書での関連する記述
第1文の主語は「関東軍」だ。関東軍は大連と満洲鉄道沿線を守備するために、そこにいた。中国が統一され、主権を自ら行使するのが当然だと考えるようになると、いずれ撤兵を求めてこよう。そうはいかないぞ、と関東軍は満洲を独立させようと謀略を立てた。
軍隊を抑えられない日本政府も日本政府だが、関東軍のやり方も巧妙だった。そこを理解しよう。
あっけにとられて……
軍部の一部門がデマ、流言、フェイクニュース……、どれでもよいが、嘘に基づいて満洲全土を占領した。初動の対応がどうだったか、『日本外交文書 満州事変』第1巻第1冊の「一 満州事変の勃発」で確認しよう。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/manshujihen1_1_02.pdf
番号1が外務省での第1報なのだろう。「付記」が憲兵隊からの通報だ。奉天(瀋陽)駐在の林久治郎総領事は変なことになっていると気づいていた。読み進めると、板垣征四郎参謀の発言に距離をとっていることが分かる。例えば番号7だ。
不拡大方針の閣議決定は事件翌日の番号67だ。何の効果もなかったが、二の矢、三の矢が必要だった。長文の日本政府声明は9月24日の番号146だ。
番号80は内田康哉満洲鉄道総裁から幣原喜重郎外務大臣への意見だが、関東軍の陰謀だと推定している。ここに至って、真実は明らかだ。軍隊の反乱だ。鎮圧するのが本来の行動だ。
番号71は関東大震災後における甘粕事件の甘粕正彦ら大陸浪人がハルピンに来たとの情報だ。大陸浪人は関東軍に協力し、自作自演の工作によって世情不安を作りだした。
不安と虚報が、武力にすがりつきたいという居留民の衝動を生みだした。この衝動は日本本土にも広がった。本来、政府は、冷静になって政府の情報を待つように呼びかけるべきだったのだ。
番号120は柳条湖事件を「事変」とみなすという閣議決定だ。自国の軍隊が言うことをきかないのが問題の本質なのに、戦争でもなく、反乱でもない、得体のしれない「何か」としての事変を政府は演出した。
中国軍も現地にいたが、中華民国の実効支配は弱かった。もちろん爆破は身に覚えがないことだったので、強く抵抗しなかった。
こうして、満洲は中国人、満洲人、朝鮮人、そして日本人が混住し、関東軍、各省政府、馬賊、大陸浪人などが割拠する無政府状態におちいった。
居留民保護の口実
領事官の任務は自国民の保護だ。旅行者も自国民だが、満洲の場合はおおぜいの居留民がいた。愛知県には多くの外国人が住むが、それらの領事館はまるで市役所のようだ。日常生活には市役所や領事館で十分と感じても、大規模な暴力や災害が起きたときにはそれでは頼りなく、国家主権にすがりつきたくなる。満洲の日本人居留民にとって、それが関東軍だった。
上で見たように、満鉄の線路が中国軍によって爆破された、という情報そのものが不確かだった。領事館がこの事態にいかに対処したか、を吉林駐在だった石射猪太郎総領事がのちに書いている(『現代日本記録全集』、第20、筑摩書房、1969)。ただし、下のリンクには国立国会図書館の登録利用者でないとアクセスできない。
石射元総領事は、自らが居留民、関東軍、吉林省政府、馬賊、大陸浪人などのあいだで、いかに立ち回ったかを描く。強い意志を持っていたのは関東軍だけで、その前に立ちふさがる勢力は現れなかった。
ピストルポイントの独立とか、生理的需要とか、溥儀の凶相とか、よく書いたものだ。上海時代も面白そうだが、残りは各自、お読みくだされたい。
まとめ
出兵経験が豊富な陸軍は満洲で不安を広げれば、居留民保護の名目で一定地域を占領できるともくろんだのだろう。そして、それは成功した。世界のエスニック紛争がいまだ解決しないのは、集団ごとに頼る権威が異なり、中立的、客観的な判断を受け入れないからだ。いろいろと応用できるモデル、それが満洲事変だ。