「移動する子ども」/メモランダム④
前回に続き、今井むつみ・秋田喜美著『言語の本質―ことばはどう生まれ、進化したか』(2023、中公新書)を読む。今回は、第5章「言語の進化」のメモを書いておく。ただし、以下は本書の要約ではない。私の研究に参考になるところのメモである。詳細を知りたい方は、本書を実際に読まれることを薦める。
第5章で考えられている課題は以下のようなことである。
「人間がコミュニケーションの道具としてそれぞれの意志や感情を他者に伝え、コミュニティの合意を形成するために大切な言語に用いられる記号の体系は、身体を経て得られる感覚、知覚、運動、感情などの情報に由来する意味を持っているはずである。しかし、同時にことばは、身体性から離れて独自の意味をも持ちえる。このような言語の二面性は、どのような道筋をたどれば可能になるだろうか?」(p.123)。
この議論で興味深いのは、「言語は進化の過程でアナログな表現からデジタルな記号的表現にシフトしていく」(p.144)という点である。
「言語を要素に分割し、結合して新しいことばを生成していく過程は、いわば人間の分析能力が作り出すものである。このような分析的思考への志向性がオノマトペのアナログ性を薄め、デジタル化された抽象的な意味に変化させていく」(pp.145-146)。
これを子どもの言語習得の状況に置き換えてみると、どうか。
「ことばの学習が始まったばかりの語彙量が少ないときは、アイコン性が高いオノマトペが学習を促進する。しかし語彙量が増えてくると、アイコン性が高いことばばかりでは、かえって学習効果が阻害される。つまりオノマトペは万能ではないのだ」(p.149)。
つまり、「語彙の密度が高くなると意味と音の関係に恣意性が増すというパターンが生まれるのは、必然的な流れなのである。言語の進化の過程と、現代の子どもたちの言語習得の両方において、このパターンが見られることは、言語の性質を考察する上で非常に重要である」(p.150)という。
では、ことばを覚える赤ちゃんの中で何が起こっているのか。
「言語の学び手(赤ちゃん)は、新しいことばを覚えるとともに母語の音やリズムの体系、音と意味の対応づけ、語彙の構造などを自分で発見しながら学んでいく。より正確には母語における音や概念の切り分け方を身につけ、それが自分にとってもっとも自然な切り分け方であるかのように、自分を母語の体系の中に溶け込ませていき、体系の中で、もともと文化や言語の文脈の外では感じなかった二次的なアイコン性の感覚を作り上げていく。
このように、「一次的アイコン性→恣意性→体系化→二次的アイコン性」というサイクルによって、当該言語の成人母語話者は、抽象的な記号であることばに対して、抽象性を感じず、空気や水のような自然なものとして、身体の一部であるような感覚を持つに至る。このような図式が記号接地問題に対する答えになるのではないかと著者たちは考えるのだ」(p.173)という。
つまり、第5章が議論しているのは、以下である。
「言語が進化する上で、なぜオノマトペから離れなければならないのか、しかしオノマトペから離れながらも、なぜ抽象的な意味を持つ記号が言語の使い手の中で身体とつながっている感覚を残しているのか」(p.173)という課題であった。
以上の考察を踏まえて、次章の第6章では、子どもがどのような方法をもってオノマトペから離れ、恣意的で抽象的な記号の体系という言語を学ぶようになるのか、子どもの言語習得から、言語の記号接地問題を考える。第6章のタイトルは、「子どもの言語習得2―アブダクション推論篇」。子どもの日本語教育に携わる人には、ぜひ読んでほしい内容である。