MY BOOK REVIEWS ② 「移動する子どもたち」と日本語教育―日本語を母語としない子どもへのことばの教育を考える
このシリーズの2冊目にレビューする書籍は、川上郁雄編著『「移動する子どもたち」と日本語教育―日本語を母語としない子どもへのことばの教育を考える』(2006, 明石書店)。
この本は、2002年に私が早稲田大学に着任してから最初に編んだ本であり、のちに「移動する子ども」シリーズと呼ばれる研究書群の第1冊目となる本である。「在日ベトナム難民家族」の人類学的なモノグラフ、『越境する家族―在日ベトナム系住民の生活世界』(2001)から5年後に刊行した本書の主題は、子どもの日本語教育に関するものであった。なぜ研究テーマが人類学から日本語教育へと変わったのかと思われるかもしれないが、私の中では自然な流れだった。その説明は追々行うとして、まずは、本書の内容を見てみよう。
本書は、3部構成になっている。
「第1部 「移動する子どもたち」への言語教育を考える」。
「第2部 「移動する子どもたち」への日本語教育実践」。
「第3部 年少者日本語教育をめざす人々のために」。
第1部には、私が書いた3つの論考が収録されている。
「第1章 年少者に対する日本語教育の課題」。
「第2章 年少者日本語教育実践の観点―「個別化」「文脈化」「統合化」」。
「第3章 「JSLバンドスケール」の考え方と方法論」。
第1章に、子どもの日本語教育に関する問題意識と課題を明示し、第2章では子どもの日本語教育実践をデザインする際の基本的な視点を提示し、第3章は、その実践で出会う子どもの「ことばの力」を把握するためのツールである「JSLバンドスケール」を論じている。
この第1部の3つの章の内容は、子どもの日本語教育を実践する際の基本的な考え方と視点を提示しており、その重要性は今も変わらない。その考え方と視点は、続く第2部の各章に反映されている。第2部には第4章から13章までの10本の論考が収録されている。私のゼミ生が自身の修士論文や実践をもとに書いたものである。つまり、子どもを対象にした「実践研究」の部なのである。
これを別の角度から言えば、第2部は、第1部の「実践の基本的考え方」を学んだ大学院生が自分で実践を考え、自分で実践を行ない、自らの気づきや考察を論考にまとめるという大学院教育の道筋を示したと言えよう。この第2部の論考に参加したのは17名のゼミ生であった。
さらに第3部は、これから子どもの日本語教育を目指す人が読むべき(当時の)「基本文献」と言える書籍と論文、50本の紹介ガイドとなっている。ここで取り上げる文献は、ゼミで院生と一緒に読み、内容について議論を行い、成果を学びつつ、かつ批判的に検討したものである。検討した文献は、日本語教育に限らない。むしろ、子どもの日本語教育に隣接する領域の文献が多い。
文献ガイドのカバーした研究主題・領域は、以下の通りである。「ことばの発達と心理」「バイリンガリズム」「日本語指導」「異文化接触と異文化間教育」「学校と学校文化」「マイノリティ教育」「心理学と障害」「海外の実践研究」「日本語教育の歴史と子ども」「インターナショナル・スクール」「言語生活と言語教育」「言語教育理論」「内容重視」「教科指導」「言語政策」「継承語・バイリンガリズム」「多文化教育・国際理解教育」「語彙調査」「評価」「言語能力」「アイデンティティ」。
これらの文献ガイドは、ゼミ生20名以上がゼミの議論を踏まえて、書いたものである。これも、院生たちの「学びの成果」である。文献を読み、議論をし、論評を書くという作業は、子どもの日本語教育に関わる人材を育成する「養成教育」の一方法と言えよう。子どもの日本語教育をめざす人は、日本語教育以外にも、隣接する多くの研究領域の成果や視点を学ぶ必要がある。第3部の文献ガイドはそのことを示している。
以上の内容を持つ本書の意義は、大きい。まず、本書には、刊行当時の、子どもの日本語教育についての他の研究書にない先駆的な内容と視点が含まれていた。それは、端的に言えば、理論と実践が統合された内容であったということである。さらに、それまでの研究や実践では、「日本語指導の必要な外国人児童生徒」という呼び名のもと、日本の学校文脈に限定された議論が中心であったところに、本書のタイトルに「移動する子どもたち」を入れ、子どもの捉え方に「移動」の視点を導入した点である。
本書の最初のページに掲載された文章、「はじめに」のサブタイトルは、「21世紀の言語教育を創る」であった。その冒頭に、アメリカの文化人類学者、アルジュン・アパデュライ(Arjun Appadurai)の「グローバル・エスノスケープ」(global ethnoscapes)の概念を紹介し、トランスナショナルな大量人口移動の風景がこれらの子どもの背景を理解する上で重要であり、それゆえ、「移動」が重要な視点になることを説明した。このような発想は、私が文化人類学の訓練を受けてきたからであったが、それだけではない。
前著で見たように「在日ベトナム難民家族」の生活世界を探究したとき、調査者である私自身が日本国内各地を移動し、当事者の話を聞くだけでなく、国外へ移動する彼らを追いかけて移動する研究方法をとった。別の言い方をすれば、彼らの生活世界を理解するには、彼らと共に移動せざるを得なかったからだ。
それは、私自身が田舎に生まれ育ち、大学・大学院時代から国内移動を繰り返し、国外へも家族を連れて留学や就職で移動を繰り返し、さらに日本に戻り、国内移動を繰り返し、大学に勤めてからも海外の調査や学会参加も含めて、「移動の中で暮らす」生活戦略をとらざるを得なかったゆえの、自然な発想だったとも言えよう。
この本のもう一つの意義は、本書の第1部第3章に「JSLバンドスケール」を提示した点であろう。「JSLバンドスケール」の詳細は、また別の記事で書くとして、ここで確認したいのは、子どもの日本語の力や発達段階を把握することは、子どもの日本語教育実践の前提となるという点である。なぜなら、実践者が子どもの「ことばの力」をどう把握するかが、自身の実践の形を規定するからである。
興味深いことに、本書のp.4に「JSLバンドスケール」の詳細について、「本書の姉妹編である『JSLバンドスケール小学校編』『JSLバンドスケール中学・高校編』(明石書店、近刊)をご覧いただきたい」と書いたが、これは勇足だった。なぜなら、これら2冊が刊行されたのは、その後、15年後の2020年だったからだ。なぜ刊行が遅れたのかについては、また別の記事で説明したい。
以上の点が、本書の意義であるし、私が早稲田大学に赴任してからの最初の5年間の研究成果であり、教育成果であると言えよう。日本の年少者日本語教育史において、本書の意義は今も変わらないだろう。
最後に、本書のカバーデザインについても触れておきたい。カバーデザインを担当してくださったのは、私が尊敬する装丁家の桂川潤さんであった。本書の刊行前に、ご縁があって知り合うことになったが、その後の私の「移動する子ども」シリーズはほぼすべてを担当してくださった。その最初のカバーが、本書である。そのカバーは今も新鮮で、印象に残る「作品」である。