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「移動する子ども」/メモランダム①

 私は、「幼少期より複数言語環境で成長する子ども」について研究している。ここでは、その中で、読んだ本のことや、わかったことや考えたことを(忘れないように笑)メモしておこうと思う。題して、「移動する子ども」メモランダム。私の机の上の公開です。「読みながら考え、書きながら考える」をモットーに。

最初のテーマは、「幼児はどのように言語を習得していくのか」

 さて、今井むつみ・秋田喜美著『言語の本質―ことばはどう生まれ、進化したか』(2023、中公新書)を読んでみた。表紙に、「話題沸騰!15万部突破!」と絶賛されていたので、手に取ってみた。キャッチ・コピー通り、とても面白かった。

 何が面白かったかと言えば、赤ん坊が成長過程で言語を習得することは、「ことばと人間の関係」そのものであることを、改めて深く考えさせられたからだ。

「記号接地問題」

 本書の最初に出てくるのが「記号接地問題」。例えば、あるモノに「イチゴ」と名付けて、「甘酸っぱくておいしい」と説明しても、「甘酸っぱくておいしい」ものが「イチゴ」という訳ではない。「イチゴ」という記号と「甘酸っぱくておいしい」という記号を、人は理解できるかもしれないが、AI(人工知能)が理解できるとは限らない。

 なぜ人は記号同士の関係を理解できるのか、なぜAIはそれを理解できないのかという問題である。著者らは「ことばの意味を本当に理解するためには、まるごとの対象について身体的な経験を持たなければならない。」と説明し、「身体に根差した(接地した)」経験」が必要なのではないかという。これが、「記号接地問題」である。認知科学の「未解決の大きな課題」だそうだ。つまり、この「人の認知能力のメカニズム」はまだ十分に解明されていないのである。

 言語は巨大な記号システムであるが、その巨大な記号システムを、子どもはなぜ習得できるのか。この「記号接地問題」を提唱したスティーブン・ハルナッド(S. Harnad)は、「少なくとも最初のことばの一群は身体に「接地」していなければならない」と指摘したという(p.ⅶ)。

このハルナッドの指摘は、子どもの日本語教育を考える上で、極めて示唆的であると 私は思う。

 本書の著者らはここから、巨大な記号システム、つまり言語がどのように進化したのか、そして「言語の本質とは何か」という問題を探究することを宣言する。そして、その問題の鍵となるのがオノマトペであると言う。 

「第1章 オノマトペとは何か」

 オノマトペとは、ギリシャ語起源のフランス語らしい。日本では、擬音語(「ニャー」「パターン」「カチャカチャ」などのように聴覚情報を中心に表す語)、擬態語(「ザラザラ」「ヌルッ」「チクリ」のように触覚情報、また「スラリ」「ウネウネ」「ピョン」のように視覚情報を表す語)、擬情語(「ワクワク」「ドキドキ」「ガッカリ」など、内的な感覚・感情を表す語)を含む包括的な用語。

 オランダの言語学者、マーク・ディングマン(M. Dingemanse)はオノマトペを「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」と定義する。この定義の中で、著者らが注目するのは、この「感覚イメージ」を「写し取る」点である(pp. 6-7)。

 「オノマトペは形容詞よりさらに感覚を中心に据えたことば」、つまり、「オノマトペは感覚のことば」であると考える。さらに、その言語の母語話者にしっくりくる「感覚経験を写し取っているように感じられる」と考察する(p. 10)。

 ここで重要なのは、ここで言う「「感覚」は、外界にあるものではなく、表現者に内在するものである」(p. 11)とする視点である。これを、ある特定の言語で考えると、「オノマトペは特定の言語の枠組みの中で理解される」(p. 11)ことになる。

 私は、オノマトペが、人の聴覚情報、触覚情報、視覚情報、内的な感覚・感情と密接に繋がっていると説明される点に、強い興味を持つ。赤ん坊が言葉を覚える時も、この「感覚経験を写し取る」こと、あるいは、「感覚を共有する」ことが働いているのではないか、さらに、その経験は養育者(親や周りの人)と間で発生するのではないかと、想像する。では、そのメカニズムは、どうなっているのか。

「オノマトペは「アイコン」」

 オノマトペが同じ言語の母語話者には理解されやすいというのは、「表すもの(音形)と表されるもの(感覚イメージ)に類似性があると感じられる」(p. 13)からである。このことを別の表現で言えば、「音形が感覚にアイコン的につながっているという点で、オノマトペは「身体的」である」(p. 13)となる。

 さらに、この「表すもの(音形)と表されるもの(感覚イメージ)に類似性があると感じられる」のは、その背後に連想が働くからである。連想は「換喩(メトニー)」と呼ばれる。著者らは、これを「換喩的思考」という。「オノマトペは基本的に物事の一部分を「アイコン的」に写し取り、残りの部分を換喩的な連想で補う点が、絵や絵文字などとは根本的に異なる」と指摘する(p. 18)

 ここで注目するのは、このオノマトペに関する考察が、幼児の言語習得を理解することにどのように繋がるかという点であるが、それは、もう少し本書を読みながら、次回に考えてみたい。

*このマガジンの表紙の本は、『研究室から社会を変えるー躍動する早稲田大学の研究活動』(2006、中央公論新社)。帯文には、「創立125周年=第二の建学」に向け教育・研究の改革に取り組むー全ての学術院・独立研究科から最前線の研究者24名」と記されています。表紙の一番上が筆者。まだ髪が黒かったなー!

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