MY BOOK REVIEWS ⑤「移動する子どもたち」のことばの教育を創造する―ESL教育とJSL教育の共振
このシリーズの5冊目にレビューする書籍は、『「移動する子どもたち」のことばの教育を創造する―ESL教育とJSL教育の共振』(2009、 共編、ココ出版)。
前回のレビュー④で、次回は私の調査について述べると書いたが、前回の『海の向こうの「移動する子どもたち」の日本語教育―動態性の年少者日本語教育学』(明石書店)を刊行した2009年に、「移動する子どもたち」と題する本が、もう一つあることを思い出したので、それを先にレビューしておこう。
2004年、日本語教育学会で仲間とパネルを張った。パネルのタイトルは「年少者日本語教育学の構築に向けて―『日本語指導が必要な子どもたち』を問い直す」(川上郁雄・石井恵理子・池上摩希子・齋藤ひろみ・野山広)。
同じ仲間たちと共に編んだのが、この本である。その中心の論考は2007年に同じ仲間たちと開催した国際研究集会「「移動する子どもたち」と言語教育―ESLとJSLの教育実践から」で発表された論考であった。
この国際研究集会には、オーストラリアからESL(English as a Second Language)教育の専門家を招聘した。Jennifer Hammond、Pauline Gibbons、Di Harwoodなどから、実践に基づく研究成果を発表してもらった。
なぜ、オーストラリアの専門家を招聘したのか。実は、私が早稲田に赴任して以来、研究室のゼミで、アメリカやカナダの先行研究のレビューはもちろんだが、それだけではなく、移民国家、オーストラリアの移民・難民の子どもたちへのESLの研究書をテキストとして院生たちと共に読み、議論を重ねていた。さらに、Penny McKay(クィーンズランド工科大学)が編集した「ESLバンドスケール」も読んでいたので、ぜひ彼女を招聘したかった。現地の小学校でESL教師をしていたDi Harwoodの実践を見る機会があり、彼女にも、ぜひ、日本で実践を発表してほしいと私は思った。
Penny は残念ながら病で研究集会には参加できなかったので、「ESLバンドスケール」の共同研究者であるJenni Guseが代役を果たしてくれた。
JenniferとPauline には、シドニー工科大学の研究室を訪ね、参加を依頼した。研究集会の目的を説明し、参加を打診すると、初めて会ったばかりなのに、Jenniferは「研究集会に参加してほしいと、わざわざシドニーまで来てくれたのは、あなたが初めてだ。断る理由はないわ」と笑顔で答えた。大変嬉しかったことを覚えている。
この国際研究集会は、2007年に早稲田大学を会場に、全国から400名以上を集めて、開催された。ESLとJSLの実践研究をテーマにした国際研究集会はもちろん、その成果をまとめた本書も、日本で初めてであった。
本書の第1部は、「「ESLの子どもたち」のことばの力を育てる」と題して、海外組の論考を中心に収め、第2部は、「「JSLの子どもたち」のことばの力を育てる」と題して、日本側の私たちの論考を収めた。議論のトピックは、「スキャフォールデング」「ことばの力と教科学習」「ESLバンドスケール」「子どもの成長」「JSLバンドスケール」「JSLカリキュラム」「ことばの実践」と幅広い。
本書の「あとがき」の題は「ESLとJSLのシンクロニシティー」。
国際研究集会と本書のねらいは、「ESLとJSLに共通するテーマ、すなわち「移動する子どもたち」のことばの教育をどう考え、どう構築するかという課題」を共に考えることであったと、「あとがき」に書いた。
この研究集会で議論をした時、私は政策面でも、実践面でも、日本のJSL教育は海外のESL教育より30年遅れていると述べ、日本にいる私たちは海外の研究成果をもっと学ぶべきではないかと述べた。それに対して、Jenniferは、海外で自分たちが長い時間をかけて研究してきた成果をすでに日本のみなさんが学んで実践をしているのだから、ぜんぜん遅れていないと思うと述べた。この発言は、日本でJSL教育に関わる人々を大いに勇気づけた。
国際研究集会が終わり、本書が刊行された頃、私はシドニーに行き、Jenniferに会った。その時、彼女は、もうすぐ大学を辞めると述べた。その理由を聞くと、オーストラリア政府の言語教育政策の変更と、それにともなって、ESL教育政策が重視されなくなったこと、さらに、大学当局がその変化を甘んじて受け入れているからだと説明してくれた。Jenniferら、オーストラリアのESL教育者たちの実践研究から私が学んだのは、第二言語として英語を学ぶ子どもたちに寄り添う姿勢と、「ことばの教育」の思想であった。
Jenniferに、「大学を辞めて、何をするのか」と尋ねると、「ガーデニングでもするわ」と笑って答えた。研究と思想を含む、彼女の生き方の選択なのかと、印象に残った。オーストラリアで良質の実践研究を重ねてきたESL教育者たちを失望させたオーストラリア政府の言語教育政策はどんな政策で、その背後に何があるのか、新たな問題意識が私の中に生まれてきた。この問題意識は、のちに、新たな研究となり、もう一つの本にまとめ刊行することになったのだが、そのことは、また別の記事で書くことにしよう。