私のイチ推しの本:『M』
岩城けい著 『M』(2023、集英社)
豪州メルボルン在住の日本人作家、岩城けいさんの小説『M』。タイトルのMには、「エム」とカタカナのルビがついている。つまり、この小説の題名は「エム」と読む。「移動する子ども」研究をする私のイチ推しの本である。
どのような内容の小説か。本の帯文には、次のような文章がついている。
「父の転勤にともない12歳でオーストラリアに移住し、現地の大学生となった安藤真人。憧れていたはずの演劇の道ではなく就職を選ぼうとしたところ、マリオネットを制作しているアビーと出会い、人形劇の世界に誘(いざな)われる。日本人としてのアイデンティティの問題に苦しんできた真人のように、「同じアルメニア人と結婚を」と刷り込まれてきたアビーもまた、出自について葛藤を抱えていた。互いを知りたい、相手に触れたい。しかし、境遇が似通うからこそ、抱える背景の微妙な差が、猛烈な「分かりあえなさ」を生み・・・・[話題の既刊『Masato』『Matt』につらなる、「アンドウマサト三部作」最終章!]」。
この帯文にあるように、この作品は、安藤真人/アンドウマサトを主人公とする作品群の最新作である。
第1作の『Masato』(2017、集英社文庫)では、主人公のマサトは日本人の両親のもと、日本で生まれた。その彼が小学校の5年生の時に父親の仕事の関係で、突然、家族とともにオーストラリアへ移住したところからストーリーが始まる。英語のわからないまま現地の学校に入学し、悪戦苦闘するマサトの様子は、私の研究テーマの「移動する子ども」の好例と思われた。
私がこの最初の作品を読んだきっかけは、大学院のゼミ生の一人が、「先生の研究とそっくりの小説です」とこの本を勧めてくれたからだった。さっそく読んでみて、衝撃を受けた。日本で日本語だけで育ってきた小学生が英単語も英文法も習っていないまま、英語の世界に入り、第二言語の英語を習得していく様子がリアリティをもって鮮明に描かれていたからだ。そのリアリティは、私の娘が英語を知らないまま小学校の1年生でオーストラリアの現地校に入学した時の経験と重なるし、日本の学校に突然編入してくる外国籍の子どもたちの様子とも通じていると感じたからだ。
何よりショックだったのは、第二言語の日本語を学ぶ子どもの研究論文をいくら書いても、この作品にあるようなリアリティは書けないと思われたことだった。この作品は文学的にも高く評価された*。
*岩城けいさんは、太宰治賞、大江健三郎賞など多くの文学賞を受賞している。この『Masato』でも、2017年に「第32回坪井譲治文学賞」を受賞した。
この作品に出会って以来、私は岩城けいさんの「物語世界」に夢中になり、「移動する子ども」研究に文学作品研究を取り入れるようになった。まず、作品を読み
書評を書くことから始めた。以下は、その例である。
川上郁雄(2018)「モバイル・ライブズを生きる「移動する家族」の物語―岩城けい(2017)『Masato』集英社文庫」『ジャーナル「移動する子どもたち」―ことばの教育を創発する』9,40-46.http://gsjal.jp/childforum/journal_09.html
川上郁雄(2020)「岩城けいの世界を読む―『ジャパン・トリップ』(角川書店,2017),『Matt』(集英社,2018)」『ジャーナル「移動する子どもたち」―ことばの教育を創発する』11,100-113 http://gsjal.jp/childforum/journal_11.html 。
『Masato』の次に発表された小説『Matt』では、同じ主人公のマサトが日本の高校生にあたるセカンダリーの10年生になった時の学校の様子が1年間にわたって描かれている。この作品も、前作と同様に、マサトの視点で物語が展開していく。前作ではまだ英語が十分ではなかったマサトは、すっかり英語が流暢になり、日本語より英語が中心の生活になっていた。そのマサトの生活に、両親や姉などの家族の様子が豪州移住後に変化してく様子が加えられ、まさに移動を経験した「移動する家族」のストーリーとなっていく。さらに、日本と豪州の間でマサト自身がアイデンティティに思い悩む小説の後半では、彼自身の顔写真がついた日本のパスポートをキッチンバサミで切り刻むシーンが胸に迫る。
これらの作品を読んだ後、2019年12月に早稲田大学で開かれた研究会(「早稲田こども日本語研究会」)で私は岩城けいさんと対談をした。その時、岩城さんは、小説を書いていくと、主人公のマサトが勝手に動き出すんですよと笑って話してくれた。私は、マサトが大学生になったらどうなるのかを読んでみたいと伝えた。
その一読者の私の声が届いたのかどうかはわからないが、そのマサトが大学生となった物語が、この小説『M』である。
この作品で、マサトは大学3年生として登場する。ここまで成長したマサトは、「自分は一体いつまで日本人をやらなきゃならないのだろうかと、腸(はらわた)が煮えくりかえりそうになる。」(p.73)と語る。
この小説には、もう一人重要な登場人物がいる。オーストラリアで生まれ育ったアルメニア人の女子学生、アビーである。アルメニアに行ったこともなく、オーストラリアで成長したアビーが言う。「私は結局、アルメニアにもオーストラリアにもシドニーにもメルボルンにも属して(belong)いない。親は世界の果てにいても祖国アルメニアに終生「belong」しますが、わたしはどこにも「belong」したためしがありません。」(p.77)
物語はこの二人を軸に展開する。物語の詳細を書くことは控えるが、この物語にはマサトの成長と心情を読者に理解させるために、アビーの登場が不可欠だったと思われる。アビーは言う。
「わたしは、父と母が姉を連れてこちらへ移住してきた翌年、ひょっこり生まれた子どもです。移住の理由は要約すると、ソビエトの崩壊後、国内の情勢が安定しなくなって、そこで新天地、といったところでしょうか(中略)。
でも、親子でこんな大きな大ゲンカをしている最中にも、親が感情の極みをもってわめき散らしているロシア語が、わたしにはまったく口にできないことが不思議でたまりませんでした。わたしは、一体、何語に育てられたのでしょうか?」(p.122-123)。
アビーは、さらに言う。
「だから、私たちって、『ダイバーシティー』とか『マルティカルチャー』とか『バイリンガル』で、あっさり片づけられてしまうじゃない? いろんな人種が
歩いているだけで『ダイバーシティー』、いろんな国のレストランが並んでい
るだけで『マルティカルチャー』、英語以外の言葉が話せたら『マルチリンガ
ル』。だからなんでもそれで一括(ひとくく)りにして、あとは知ったかぶり
の知らん顔」(p.155)。
「おれ、日本人やめたくなること、あるんだ」(p.159)と語るマサト。「わたしの場合、英語を話しているときは『オージー』だけど、家の外で親にロシア語で話しかけられたとたん『オージー』じゃなくなって『移民』」(p.162)と語るアビー。
「わたし、あなたに触ってみたいの。その前にあなたをきちんと見せて(p.210)と言うアビー。「おれもきみに触りたいんだけど、いい?」(p.212)と言うマサト。マサトは彼女の中に入ろうとして、彼女が初めてだということに気づく。そして思う。「人は傷つけたり傷つけられたりしなければ、本当に相手を理解することはできないのだろうか。」(p.213)と。
本書の帯文のコピーは続く。
「あなたを知ることは、あなたという人を選んだわたしを知ること。」「多民族国家の生きた声を掬(すく)う在豪作家が贈る、力強くみずみずしい《越境青春小説》」
子ども時代から複数言語環境で成長した若者たちのモバイル・ライブズのリアリティを描く本書は、真冬のメルボルンの冷風を送ってくれる。北半球で真夏の猛暑に苦しむ人々にとって、その風は暑さを忘れさせる「イワキ・ワールド」へ導いてくれると、私は思う。ホンマに、イチ推しの書である。
参考:川上郁雄(2021)「第8章 モバイル・ライブズを生きる―岩城けいの物語
世界を読む」『「移動する子ども」学』、pp.153-177. くろしお出版。