子どもの日本語教育とJSLバンドスケール [セルフ・ラーニング研修❻]
コース2 JSLバンドスケールを使った日本語指導
❻JSLバンドスケールを使った日本語指導
1、JSLバンドスケールから日本語指導へ。
さて、JSLバンドスケールを活用しながら、どのように日本語指導を行うかを考えてみましょう。
まず、「コース1 子どもの日本語教育」の考え方と観点と、そしてここまで述べてきた「コース2」の内容を踏まえ、子どもにとって意味のある日本語指導のポイントを確認しましょう。
①子どもの「ことばの生活」「成長・発達」「心」を考える。
②JSLバンドスケールをよく学び、実践を通じて活用する。
③言語活動の「個別化」「文脈化」「統合化」を考える。
④言語活動に必要な「実践的教材」「足場かけ」を考える。
⑤教師と子どもの相互主体的な関係性に留意して、実践を行う。
つまり、子どもの発達段階を踏まえ、子どもの様子をしっかり把握しつつ、子どもの主体的な学びが生まれるように足場かけも考えながら、子どもと向き合って実践を考えることが、子どもの日本語教育の基本です。子どもにとって意味のある言語活動でなければ、子どもの「ことばの学び」は生まれません。
では、JSLバンドスケールから具体的な日本語指導への道すじを考えてみましょう。
ケース1 小学校3年生のAさん
親の仕事の都合で突然家族と一緒に祖国を出て、日本にやってきたAさん。クラスには同じ言語を話す子はいません。来日後、4ヶ月がたち、少しずつ日本の学校生活に慣れてきていますが、まだ日本語はうまく使えません。そのため、教室の授業にも参加できず、クラスメイトともうまくコミュニケーションができません。その結果、友達もできず、教室では孤立しがちです。ただ、日本のアニメには興味があり、絵を描くことが好きです。
さて、このAさんに、どのような日本語指導を行ったらよいでしょうか。上記の「日本語指導のポイント」にそって、考えてきましょう。
①子どもの「ことばの生活」「成長・発達」「心」を考える
まず、Aさんの「ことばの生活」を考えましょう。両親が外国籍のようなので家庭内言語は親の言語(第1言語)を使用しているでしょう。3年生ですから、生まれてから10歳ほどになるまで、祖国ですでに長い期間、親の言語で教育を受けてきたと考えられます。とすると、日本にいる同学年の子どもと同様に、それまで順調に「成長・発達」してきたと考えられるでしょう。ただし、順調に大きくなり友達もたくさんいた環境から、親の都合で突然来日し、それまでまったく聞いたこともない日本語の世界に「移動させられた」ことが納得できず、不満や不安をもって生活しているかもしれません。もちろん、日本に移動したことを肯定的に考える子どももいるかもしれませんが、どちらの場合も、日本の新しい環境に慣れていく過程の「心的ストレス」に配慮しつつ、指導することが大切です。Aさんの「心」の状況を理解することに留意しましょう。
②JSLバンドスケールをよく学び、実践を通じて活用する
その上で、Aさんの「日本語の発達段階」を把握することを試みます。Aさんと日本語でやりとりした様子や、できれば在籍クラスで授業を受けている様子などを観察しながら、Aさんの「ことばの力」に関する情報を集めます。
たとえば、次のような様子です。
・「いいえ」「ちがう」の代わりに、手を横に振る。
・質問すると、その質問を繰り返したり、他の子どもの発言を真似たりする。
・クラスメイトに「一緒に遊ぼう」というつもりで、その子の肩を叩いたりする。
・積極的に本を読む態度を見せる。
・第1言語で経験したことをもとに、日本語の文字や文を理解しようとする。
・描いた絵にタイトルをつけたり、自分の名前を書いたりできる。
・漢字の書き順が示されれば、それを書き写したり、書いたりできる。
この様子の情報と、JSLバンドスケールの「小学校中高学年」のレベル説明文と比較します。その結果、「聞く:レベル2」「話す」レベル2」「読む:レベル2」「書く:レベル2」と暫定的に「見立て」ます。JSLバンドスケールの「見立て」は、複数の教師・指導員等による複数視点からの「判定」が推奨されているため、今回のような「見立て」は暫定的と考えます。
ただし、Aさんのこれらの情報と「見立て」からたくさんのことがわかります。Aさんは、第1言語でしっかり学んだ経験があり、その経験をもとに日本語や学校環境に対応しようとする力があります。また、学ぶ姿勢も意欲もありそうです。さらに、他の人と基本的なコミュニケーションを取ろうとする力もあります。それは、日本語の力はまだ不十分でも、第1言語で培った「ことばの力」を、Aさんはすでに持っているということです。この点は、これから第2言語の日本語を学ぶ上で、十分な基盤となるでしょう。
③言語活動の「個別化」「文脈化」「統合化」を考える
次に、これらの「見立て」をもとに、言語活動を考えます。ここでいう言語活動は、ことばを使って、他者とやりとりする活動(詳しくはコース1―❸参照)のことです。そして、ことばを使って、他者とやりとりする活動には、「個別化」「文脈化」「統合化」が必要です(詳しくはコース1―❸参照)。
「個別化」というのは、子どもが主人公になる活動を作るという意味です。そのために、子どもの興味・関心を知り、それを教材化のヒントにします。たとえば、Aさんの好きなアニメや絵を描くことを取り入れた活動を考えることも良いでしょう。
「文脈化」は、活動の中で活発なやりとりが生まれるように工夫することです。Aさんの場合、具体物や半具体物(絵や写真、イラストなど)、材料(紙、ダンボール、テープなど)や道具類(ハサミやのりなど)、さらにタブレットなどのIC機器などを使うことによって、今、何が話題になっているのか、あるいは何をするのかが理解しやすくなります。そうすると、その中で行われるやりとりの意味も理解しやすくなるのです。そのような状況を作ることが「文脈化」です。
最後の「統合化」は、「個別化」「文脈化」によって創られた状況の中にいる子どもは、自分の言いたいこと、感じたことを表現したくなることを意味します。この点は、子どもの主体性を育成する上でも、欠かせないポイントです。
④言語活動に必要な「実践的教材」「足場かけ」を考える
「個別化」「文脈化」「統合化」を実質化するためには、何が必要でしょうか。それは、教師が子どもに寄り添う姿勢を持つことです。子どもの言いたいこと、子どもが表現したいことをしっかり受け止め、どのような足場かけをしたら、やりとりが続き、子どもが他者に通じたと実感できるのかを、教師が考えることが大切です。
つまり、言語活動には、ことばのやりとり、気持ちのやりとりが含まれなければならないのです。そのためにも、言語活動の「個別化」「文脈化」「統合化」は、実践に必要な視点なのです。
ただし、言語活動の「個別化」「文脈化」「統合化」は、実践前にすべて準備しておけば良いということではありません。十分に準備をした上で、実践の中で子どもとやりとりしながら、適宜、子どもに働きかけたり、反応したりしながら、実践を組み立てていくのが実践の本質だからです。
コース1―❸でも述べたように、実践で使用する「教材」には、以下の二つの種類があります。
1.あらかじめ用意された「教材」。
2.実践の中で偶然に生まれた「教材」。
たとえば、アニメや絵本を言語活動の導入に使用する場合、それらは「あらかじめ用意された「教材」」となります。一方、実際の指導の中では、事前に想定された反応とは異なる様子を、子どもが示す場合があります。例えば、活動の中で子どもが物語を創作し、ストーリーの展開を教師に質問してきたりします。その場合、子どもの創作した物語は、「実践の中で偶然に生まれた「教材」」となります。子どもが夢中になり、主体的に動き出すのは、後者の方かもしれません。その時の「教材」は、「子どもにとって意味のある教材」といえ、言語活動を活発に発展させます。「ことばのやりとり」を重視する「ことばの実践」においては、このような展開は、とても意味があることになります。実践の中で生まれた教材を、私は「実践的教材」と呼びます。子どもにとって大切な教材なのです。
さらにここで留意したいのは、JSLバンドスケールの「見立て」です。子どもの日本語の発達段階を「見立て」て、それに基づいて教師の方からヒントや問いを出したりするなどの反応(つまり、指導)をすることが大切です。Aさんの日本語の発達段階は、レベル2と見立てられていますので、そのレベルの子どもへの「足場かけ」が必要になります。そのことを考えずに、レベル5の子どもへ行う「足場かけ」を行なっても、子どもは理解できないでしょう。たとえば、「(子どもの作った物語の主人公の)この子が大きくなると、どうなるの?」という問いかけは、レベル2の子どもにとっては上の太字の意味を理解できない可能性があります。つまり、教師は子どもの日本語の発達段階に留意し、「足場かけ」をする必要があるのです。そのためにも、日本語の発達段階が一目でわかるJSLバンドスケールは実践において有効なツールになるでしょう。
⑤教師と子どもの相互主体的な関係性に留意して、実践を行う
子どもの日本語教育の実践において、「個別化」「文脈化」「統合化」、および「実践的教材」「足場かけ」は、不可欠な要素です。そして、それらを含む実践を支えるのは、教師と子どもの相互主体的関係性です。
子どもが最もことばを学ぶときは、子どもが一人の人間として認められたときです。それは、第二言語の日本語を学ぶ子どもが日本語を使って他者とやりとりする時に、そのことばを受け取り、理解しようとする他者がいることを意味します。
コース1―❷で述べているように、そのやりとりは、子どもにとって他者に「声が届く体験」となります。「声が他者に届く」という、その体験は、子どもの心を支える指導につながります。なぜなら、「声が届く体験」は、子どもにとっては「ここにいてもいいんだ、ここでやっていけるんだ」という気持ちを抱くことになるからです。それは、別の言い方をすると、子どもにとって「社会的承認」を得ることを意味し、「自尊感情・自己有能感」を育むことになります。
したがって、教師は、子どもと向き合って、子どもに寄り添いながら、教師自身の気持ちも子どもが理解できるように伝え、相互に理解を深める関係を築かなければなりません。つまり、教師と子どもの相互主体的関係性の中でこそ、子どもの「ことばの実践」は成立するのです。
2、なぜ、ことばの教育が必要なのか。
最後に、教師が考えなければならないのは、複数言語環境で成長する子どもにとって「なぜ、ことばの教育が必要なのか」ということです。
家庭で日本語以外の言語を使用しているかもしれない子どもが、日本で、そして日本の学校で生活している場合、なぜ日本語を学ばなければならないのでしょうか。「日本語は日本で生活するために必須のコミュニケーション・ツールだから」、「日本語はコミュニケーションだけではなく、教科を学び、学力をつけるために必要だから」「だって、これから試験もあるし、受験があるのだから」「将来、自分の希望する道に進めるようにするため」などと考える方も多いでしょう。確かに、それらの回答も「日本語学習」の理由であり、目標かもしれませんが、それ以上に重要な理由は、子どもが日本語で学ぶことによって「複数言語で他者とつながるため」と考えられます。
日本語だけが優先されるものではなく、家庭で使用する言語も含め、子どもの周りにある言語で、親や教師やクラスメイトなどとつながる体験をすることが子どもにとってはとても意味のあることなのです。つまり、子どもにとって日本語で他者とやりとりすることは「日本語で他者とつながる体験」を意味します。そのように日本語で他者とつながる体験は、「日本語による世界」を体験することを意味します。日本語で他者とつながり、日本語による世界を体験することは、漢字を一つ覚えることや文型を一つ覚えることよりも、子どもにとって重要です。なぜなら、日本語で他者とつながる体験、また第1言語と異なる「日本語による世界」を体験することを通じて、子どもにとってより重要なテーマ、つまり「複言語とともにどう生きるか」という課題に向き合うことにつながり、結局、「複言語と向き合う自己の確立」という「生きる実践」に向かうことになるからです。
したがって、子どもへの日本語教育は、「子どもが複数言語環境で成長するという経験と向き合い自らのことばとアイデンティティを主体的に考えることを支える教育支援」なのです。
さらに、「複言語と向き合い、どう生きるかを考えること/「複言語と向き合う自己の確立」」を支援する「ことばの実践」の基本は、自身の中にある多様な言語資源を駆使して子どもが「考える活動」をすることを意味します。その「考える活動」とは、社会の事物を観察し、その意味や背景や原因を考えたり、様々な情報を集め、比較検討したり統合したり、さらにその過程で自身が発見したことや思ったことを表現し、他者に伝えようとしたりする活動を意味し、その過程を複数の言語、あるいは日本語で遂行することを意味します。そのような探究型の学習活動は、今、世界のトレンドとなっている「アクティブ・ラーニング」と同じです。子どもへの日本語教育は、まさに、日本語を駆使して考える「アクティブ・ラーニング」活動と言えるのです。
課題6
次の「ケース2 中学校1年生のBさん」のプロフィールを読み、もしあなたがBさんに日本語指導を行うとしたら、どのような実践を考えるかについて、JSLバンドスケールを参照にしながら具体的な日本語指導への道すじを考えてみましょう。
ケース2 中学校1年生のBさん
Bさんは、日本人の父とある国出身の母との間に生まれ、これまで複数の国に暮らした経験があります。保育園や小学校はそれぞれの国のインターナショナル・スクールで英語を使って学びました。5年生の時、家族で日本に移ってきました。それまで家庭内では、父の日本語、母の母語、そして学校では英語に触れて成長してきました。しかし、日本に来てからは、父は忙しくて夜遅くまで帰宅せず、父と日本語で会話をすることはあまりありません。家庭内では日本語を使うように父から言われているので、日本語がまだ十分に話せない母ともあまり話をしません。英語力の方は、日本に暮らしている2年半近く、英語を使う機会はほとんどなかったため、英語力も落ちていると思うとBさんは言います。でも、中学校の英語の授業はつまらないと言います。日本の学校に入ってから学校では日本語に触れているので、日常的な日本語のやりとりはできますが、教科書を読むのも大変で、授業も早く進むのでわからないところがたくさんあると言います。中学校に入ってから、教科内容も難しくなり、学校に行くのが苦痛になっています。今は、学校のクラブ活動には参加せず、地域のサッカー・クラブに行くのが唯一の楽しみだと話しています。このクラブには、Bさんと同じような「ハーフ」の子もいるからだそうです。