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2019年SNS考察①個人情報やプライバシーがぎっしり詰まったSNSアカウントを守りきれる時代はすでに終わっている

最近自分のfacebookに見知らぬ外国人、しかも様々な国からの友達申請が頻発している。

その多くは明らかに乗っ取られた形跡のある最新の投稿に埋め尽くされているのだが、そうした猥雑な投稿をかいくぐってタイムラインを掘り下げると、そこには乗っ取られた本人と思われる個人のライフレコードがまざまざと残されている。そこに気づいてしまった最近は、そのような友達申請をそっ閉じ、放置することにしている。

セキュリティ対策にかかる青天井の費用感

インターネットサービス界隈に身を置いていると、業界的にもこうしたアカウント流出事案は日常的に耳に入ってくるし、守るべき情報を取り扱かう事業を行なっている限り、企業もこうした攻撃に対して多額の投資を行なって社会的に認められる程度のセキュリティ対策を施すのが当たり前な時代になった。

対策にかかる費用は青天井で、どこまでやっても終わりがないし、継続的に税金のようにのしかかる費用となる。
そして社会構造上はゼロデイ攻撃に代表されるように、どんなに対策をしてもハッキングを完全に防ぐことは不可能だ。

あなたにとっての守るべき情報はなにか

ではユーザー側はどうか。あなたがインターネットから流出したら悲しい情報とはなんだろうか。
国が事業者に対し「最優先で守るべき」としているのは、個人情報とプライバシー

具体例を挙げると

・プライベートな写真
・メールアドレス、LINE ID などのコンタクトプロファイル
・住所などの所在地が知れてしまうプロファイル
・社員番号・学籍番号
・クレジットカード番号
・その他、いわゆる機微情報など

など。

個人情報であろうが、プライバシーや機微情報であろうが、情報は常に流通している

これらは実のところ、インターネットサービス普及以前から様々なところで公開資料が存在する。
懐古的な個人情報リストの象徴的な代表として取り扱われる「電話帳」や、生徒名簿、友達リスト、フォロワーリスト、卒業アルバムや宅急便の伝票など、様々なシチュエーションで私たちの個人情報やプライバシーは流通している。

極端な話、あなたが不意に言葉にしたりメモしたりする行動にはじまり、何かしらの手段で表現された事象は、すべて情報として流通し始めるている。

なぜ漏洩・流出はイヤなのか

時にこの流通範囲が意図しないものになる場合がある。これが流出・漏洩だ。
この「意図しない」と言うことに対し、私たちは漠然として不安を覚える。この不安が「イヤ」の正体だ。

そしてインターネットの場合、この流出範囲の拡大が極めて読みにくい。
と、されている。
だから余計にイヤなのだ。

これは「市内のある学校の定期テストの成績表」が手違いで

「市役所の(物理的な)掲示板に貼られていた場合」
「市役所のサイト上に公開されていた場合」

のようなケースを例にとって語られる。
後者は全世界に晒されてしまっているから、リスクがとんでもなく大きいという理屈だ。

さて、ここからがようやく本題だ。

本当にサイト上に公開された場合の流出リスクは高いのか

を考える前に、本当に掲示板のリスクは低いのかを考える。

例えば市役所の掲示板に貼られていた定期テストの成績表を、無邪気な誰かが写真に撮ってTwitterに投稿した場合、その拡散リスクは計り知れない。
悪意のある誰かがそれを写真に撮り、欲している業者に提供した場合、成績の振るわなかった生徒の家に自主勉強キットのダイレクトメールが頻繁に届くようになるかも知れない。

一方で後者の場合も、前述のような状況になる可能性は同じく十分に否定しきれない。どちらの場合も意図しない拡散につながる行動を起こしてしまう人にリーチするかどうかがリスク発生の鍵となる。

国民総勢でスマホやガラケーのような高い経験記録性能を有する端末を持つ現代では、ほとんどの国民が情報拡散の主役になりうる。
そうした無垢・悪垢な行動で情報流通が制御不能な状態になるケースはもはや日常茶飯事と言っていいほどに世の中に溢れかえっているのだ。

2018年上半期に流出したとされる情報

ジェムアルトの調べによると、2018年は上半期だけで45億件。

・そのうち87.2%(39億件)が個人情報
・25億件がSNSから
・12億件が政府機関から

日本では2017年調べで520万件弱
一見少ないように見えるが、これは日本企業が運営しているサービスだけを対象としているからだ。もちろんTwitterやInstagram、LINEやFacebookなどの主要SNSは(日本企業発の有名サービスがないのは業界的に残念ではあるが)含まれない。


やっぱりSNSは狙われているようだ

Facebookはアカウント乗っ取りの代名詞みたいな感じさえするが、僕のアカウントには謎の人からのフレンド申請が絶えないし、大きな流出事故の知らせがあった後には加速度的にその数は増える。これは複数人の友達から得たパーミッションでアカウントを乗っ取れるという仕組みがFacebookにあるからだ。

こうまでして狙ってくるSNS内の情報は2つの点で有用だ。

1. アカウントディレクトリとして取り扱われている
FacebookやTwitterアカウントでログインしているサービスがある。そうしたサービスにログインできてしまうので、様々なサービスのログインを支配できるのだ。

2. SNS 内の投稿から、個人のプロファイルをより深く知ることができる
個人情報はその個人のプロファイルが色濃くわかればわかるほど価値を増すと言われている。SNS内の投稿はそうした意味でも非常に有用だ。

経済悪行的な背景を想像すると、より直接的に金銭的な攻撃や乗っ取りを可能にすることができそうなものとして、主役は1になるだろう。

逆に2が主役になるとすれば、本当に特定の人の人物像をあぶりださなければならない時だ。そしてほとんどの国や政府機関には公的に必要な場合に限ってはその権利が与えられている

やっぱりSNSアカウントはあなただけのものではなくなってしまっているだろうと思う

以上の状況を踏まえても、あなたの個人情報やプライバシーがぎっしり詰まったSNSアカウントは安全だと言えるだろうか。

それを行使しているかどうかはさておき、あなたのSNSアカウントにログインできる情報を持つのは、あなただけではない可能性は低くないのではないだろうか。

SNSは関わり合い方を変えるべきタイミングに来ている

しかし僕は、SNSの本来の楽しみはそんなところにビクビクする必要がないものだと考えている。SNSを通じたコミュニケーションの楽しさと、アカウント乗っ取りにビクビクして過ごす日常は、本来なんの関連性もない。

僕がこの記事で言いたいことは、こういう時代であることを認識した上での人生とSNSの関係性を見直す提案だ。
僕らがSNSを通じて享受している本当の楽しみの正体とはなんなのか、この時代に僕らはSNSというものをどう捉えて、どう楽しむべきなのか。そんなところに次回は切り込んでみたい。

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