評価システムを貨幣として使えるか
かつてVALUという先進的なサービスがあった。
VALUとはどんなサービスがChatGPTに聞いてみたところ大体あっていたのでそのまま載せておく。
VALUは個人が、自身の株式を発行できるという画期的なサービスであった。ある個人への評価(VALUでは株式)が、経済活動へダイレクトに影響する社会のことを評論家の岡田斗司夫氏は評価経済社会と呼んだりしているが、VALUはまさに評価経済社会の実証実験を行った先駆けとなるプロジェクトだったといえるだろう。
科学技術の発展によって、人類には複数回のパラダイムシフトが発生している。中世の人々は、余剰生産を行わず、空いた時間にお祈りして質素に生きることが立派な生き方とされていたそうだ。それに対して、現代の我々の経済活動は貨幣を通して大量の余剰生産を生み出す。貨幣経済行為が民主化された現代は、個人が貨幣的利益を追求することが社会全体を活性化させるというパラダイムにとらわれているのである。
ただ、SNSの発展によって、情報の発信が民主化され、私を含めた現代の若者は評価を重要視しているといわれると、身に覚えがある人がいるのではないだろうか。
評価というのは、ある個人が、ほかの個人からどの程度評価されているか、逆に他の個人に対してどれほどの影響力があるかということであり、具体的に言うとTwitterのFollowerのことである。
ブログのアクセスカウンターも評価の指標になるということは間違いないのだが、Twitterでは興味のある人をFollowし、興味のない人のFollowを外すという特徴がある。アクセスカウンターは常に増加し続け、見に来た人の注目度しか図れないのに対して、Twitterでは評価が増減し、その人の影響力を可視化するのである。こうしてみると、TwitterのFollowシステムというのは評価経済社会における貨幣のような働きをしているといってもよい。
評価経済社会では評価同士の交換が行われるが、VALUは評価を金銭で価格決定することによって、評価同士の為替を取得していた。Twitterには明確な為替は存在しないが、FF比率が一種の指標になっている。
しかし、評価はあくまで貨幣ではないことに注意してほしい。経済学者のウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは、貨幣とは何かという問いに対して「欲望の二重の一致(Double Coincidence of Wants)の困難を解決するものである」と述べている。欲望の二重の一致とは、物々交換時において、自分が持っている財がまさに相手の求めている物であり、かつ、相手が持っている財が自分の求めている物そのものであるという状態のことで、そのような状態はめったに起こらないのである。そのため、誰もが欲している共通のコモディティが導入されればこの問題を解決できると発想するのは自然な考えである。それが貨幣である。
誰もが欲しているコモディティが貨幣であり、貨幣は欲されないと貨幣でなくなる。つまり、貨幣があるがゆえに貨幣は貨幣たりえるのである。これは貨幣がもつ本質的なトートロジーである。
(現代の貨幣は徴税によって人工的に需要が作られているという指摘もある。詳しくはMMTerに聞けばよいが、ほどほどにすることをお勧めする)
次世代のパラダイムに生きる人々は、みな評価を欲すると仮定すると、評価は次世代の貨幣たりえる。しかし、TwitterのFollowシステムは、Followするかしないかの0,1しかない。そのため、欲望の二重の一致問題を解決することができない。それ故に、貨幣のような働きであって貨幣ではないのである。
評価を貨幣として扱うにはもう少し工夫が必要であるため、評価を貨幣として扱うためのアイデアが必要である。それは今度記述する。
あとがき
SNSは友人同士のつながりを可視化するソーシャルグラフを作ったサービスだが、私が勤めているチケミーは、イベントや商品についてのソーシャルグラフを可視化するサービスを作っているといえる。つまり、商品やイベントの評価をオラクルさせるのである。