全世界の隊員の一時帰国が決まりました。<ピンチでなくチャンスととらえたい>
任地330日目。木曜日。
全世界の隊員の一時帰国が決定
すでに多くの方が発表している通り、一連のコロナウイルスの影響により全世界にいるJICA海外協力隊員の一時帰国が決定しました。
数日前から数か国の隊員が各在外事務所の指示により帰国の準備を進めている状況は知っていましたが、ペルーは鎖国状態。とりあえず情報が入るまで待機していました。
しかし事務所から連絡が入るよりも先にこういう形でニュースを受ける形になり、またこのニュースはNHK WORLDでも流れているためペルー国内の人からも事務所に問い合わせが入ったりてんやわんやな状況です。
国境が閉鎖されているなか、自宅待機も義務化されているなか、各在外事務所は隊員の帰国に尽力してくれていますが、普通に考えてこの状態で帰国するというのは各国かなり厳しい側面であり、本当に今回の件は在外事務所はとても大変だろうなと思います。
また、ウイルスの拡大もですし、情報の伝達もですし、21世紀の協力隊の置かれる環境というのは一昔前とは違うし、それに対応していかないといけないんだなというのをつくづく感じました。
一時帰国すると聞いたときの感想
一時帰国すると聞いたとき、最初は信じられなかったです。でもペルーは現在鎖国しているというのもあり、他の国に比べて情報が来なかったり出国が遅くなることは予想できていたので、どちらかというとどうやって帰国するんだろうという疑問の方が強く、そんな深く考えていませんでした。実感があまり湧かない中、今もnoteを書いています。
でも7月くらいには戻って来れるんじゃないかなって勝手に考えています。だからあまり寂しくないし、むしろいい気分転換になるかなって。
もちろん活動が途中で止まるなんて嫌すぎるし、2年任地での生活を送りたかったけれど、こればっかりはどうしようもないもんね。
この1年でいろんなことを学び、任地の状況が何となく見えてきました。そのタイミングでの一時帰国、次に任地に帰るときはいろんなものを吸収して全てを任地での生活に活かせるように充実した日本生活を送ろうと思っています。
という意味では今回の件はそこまで悲観的にはなっていなくて、ペルーの日本を知りたい友人に日本を知ってもらえるいい機会。FacebookやWhatsAppなどで写真や動画で日本について説明していけたらなーって思います。みんな首を長くして私の帰国を待ってくれていると思うから(自意識)きっと普通より見てもらえるはず。笑 こんな注目してもらえる機会めったにないもんね!
(戻ってこれないという案は一ミリも想定していないので、たぶん7月くらいに戻って来れるだろうと踏んでいて、もし例えば9月とかになっても戻る兆しがなかったら、たぶんそこで初めて泣くと思います。大号泣。笑)
ただ任地に移住説も出ていたので、最悪1年経っても戻れなかったら任地に1年住んで自分で活動しようかなって思ったりもしています。まあ人生自由ですよね。
ただ自分はまだいいとして、今回の任期が残り少ない隊員の人はこれが本帰国になる可能性が高く、かなりしんどいんじゃないかなと思います。例えば3か月残っていたとして、任期中に戻って来れる可能性は低い。そうなると、最後のお別れを任地にしないといけないし、活動も最後の3か月、最後の半年ってとても大切な期間だと思うので、やりきれないなという人も多いんじゃないかなと思います。
だからこうやって能天気に任地に戻る気満々で書けるのは、自分があと1年まだ残っているからで、もし残り3か月とか半年しかないってなったらたぶん全然違った感想を持っていたことでしょう。
パワーアップして帰りたい
最近まんがでONE PIECEを読んでいて、それの読みすぎって言われるかもしれないけれど、今回の一時帰国はなんかONE PIECEの60巻前後のシーンみたいだなって。
しばらくいた任地をそれぞれはなれ、日本に帰っていろんなものをチャージしてまた戻ってくる。そんなイメージ。
私も自分に課せられた課題は、何も一時帰国で任地を離れることを悲観することではなくて、先に述べたように、さらにいい活動ができるように日本でいろんなものを吸収して持ち帰ってくることかなと思っています。
任期が1年残っているので帰ってくる気満々。まさかこのまま活動が終わるとは一ミリも想像していないし、それならそれで、帰ってくる気でばりばり日本でチャージしたいなと思います。
シャボンディ諸島で再会したルフィの仲間のように。
パワーアップして帰る!!絶対に帰ってくるもんねーー。。!
帰国までにやること
ということで上手くいけば帰国まであと2週間ほどです。(大統領令が延長されればさらに帰国は先に延びます)
荷造り
まずは荷造り。すべて持ち去るように言われました。せっせとパッキングしています。処理に困るのが、2年分と思って母が送ってくれた日本食たち。2年分のつもりで大事に食べていたのでだいぶ余っています。笑
日本に帰るのに日本食を消費する生活が始まりそうです。
あいさつまわり
といっても今は自宅待機中。不要に出たら逮捕されます。みんな家にこもっているので、もちろん活動もなく、会えない・・・
本当は直接挨拶に周りたかったけれど難しそうね。必死に電話やチャットで伝えていこうと思います。
1つ自慢させてもらうと笑、コミュニティ開発隊員的な性質か、挨拶しなきゃいけない人めっちゃいて。。(自慢になってないか)
友達だけで15チャットくらいに分けて知らせないといけない。
配属先も20チャットくらいに分かれる(チャットさえ知らない挨拶仲間もいるけど)。
活動を行う人は別に15チャットくらい分けて連絡しなきゃだよね。
直接会えたら早いのにーーー。パソコンは結構好きだけど携帯握りしめてずっと文打つの苦手なので50チャットも送るのか―と思うともうどこから始めればよいのやら…
まあある意味たくさんの人と関われたということで(密度は知らない)、嬉しい悲鳴ととらえてよいでしょう。
それ以外の大勢の人はごめんなさいですがFacebookの投稿とWhatsAppのストーリーで対応します。
活動の続きと引継ぎ
出来たら活動をきりがいいところまでやって引継ぎをしたいところ。と言っても直接会っての活動はできないので、とりあえず家でできることを遠隔で伝えるしかない。
色々バタバタしてこれはまだ手を付けられていないけれど、明日くらいからぼちぼちやっていこうと思う。特に引継ぎが大事よね。
活動一緒にやっていく人に挨拶する際にこんなところを進めてくれたら嬉しいなってところまで伝えられるようにちょっと準備をしようと思う。
そんなところです。
ピンチはチャンスだと思うから
ちなみにすこし挨拶をし始めているのですが、愛されているのが伝わってきてちょっと嬉しいです。(行かないで、、、って言ってくれたりね。もう、幸せかよ自分!)
実は、2年の任期が終わって去るときに、任地の人がどんな反応をするか、どういう形で見送ってくれるかってある意味一つの成果だと思っていたんです。
だから町の人が私が去ると聞いてどういう反応をするのかというのはずっと楽しみにしていたことでもありました。
その答え合わせがまさかのこの着任から1年弱というタイミングで来るなんて、、先に答えを知るみたいでどきどき。
一度、急に日本から来たボランティアが無期限で去ることを知った時、任地の人がどんな感情をもってくれるのか。ある意味それは、また戻ってきたときに大切にしたいものであり、
もし悲しんでくれて、もっといくみと遊べばよかった!って思ってくれるなら、また戻ってきたときにその悲しみと後悔を払拭するような過ごし方ができる。
もしもっといくみからいろんなことを吸収すればよかった!と思ってくれるなら、任地に帰ったときにもっと深い活動になる。
つまり、先に答えが分かることで、次に任地に来るときにもし知らなかったらそのまま気付かずに過ごしていただろう感情を大切にできると思うんです。私もですし、任地のみんなも。
だから、2か月なのか4か月なのか半年なのか。。たしかに任期を減らして日本に帰り任地から離れることにはなるけれど、その期間活動はとまり、最悪振出しに戻ることはあるかもしれないけれど、
「日本に帰る」ことでパワーアップしたり、その分だけ残された任期を2倍にも3倍にもして濃いものにすればいいわけで
時間は大切だけれど離れてみてわかる大切なものもあるし
全然ピンチなんかじゃない。むしろチャンス。チャンス過ぎるくらいチャンスだなと思います。いや、チャンスにしていこうと思います。
1年任地 → 4か月日本 → 8か月任地
だとしても
帰国することなく2年連続任地
だとしても
全然私は大丈夫。
落とされたフィールドで自分を順応させて、その場にある資源を活用しながら自分に出来ることを探し、最高に力を発揮する。ただそれだけ。
(とか強気発言しているけど、4か月くらいで帰れなかったらやっぱりたぶん号泣します)
ただ任地にいない分、その分の負荷を自分に課したい。日本での生活は久しぶりの日本を懐かしんで終わるものではない。
任地に照準を当てて、できる限りの過ごし方をしようと思う。
そしていざ任地に向かう時バージョンアップした自分でいられるよう、健康には気を遣いつつ、気の許せる人に癒してもらいつつ、経験値を積みたいな。
だらだら書いちゃったけどそんな感じです。
てことで手を洗ってうがいして、おやすみなさいまし。
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