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どのように「人」を育てていくかin Japan

マレーシア生活が2か月終わりました。noteを全く更新してこなかったことを今更後悔しています。笑
ペルー生活と同様に、マレーシアでは、日本では考えつかないような問いを考えることになったり、日本での当たり前を問い直すきっかけが多く、そういう問いをメモしてこなかったことを反省しています。が、まだあと数日あるので、このように更新しながらちょっとだけ抗っています。

さて、ちょっと恐めのタイトル。
どのように人を育てていくか。

この記事では宗教のことにちょっと触れます。一般論として紹介させていただくものですが、苦手な方はそっと画面をお閉じ下さい。

日本では、神道と仏教がこれまで日本の社会の中に古くから存在してきて、人々の文化や暮らしに深く紐づいてきました。
ある特定の宗教を深く信仰しているわけではないため「無宗教」として生きる人も多いと思いますが、そういう人でもふとした時に神社に行ったりお寺に行ったりする場合もあると思います。
それ以外の宗教も含めて、日本にはいくつかの宗教が存在していると言えるけれど、一方で日本には「国教」と言われる宗教はありません。
国教とは、国家が公認し、国民の信奉すべきものとして保護を加えている宗教とのことですが、ほかの国では、ある特定の宗教が国教として取り決められていたりします。

私が今暮らしているマレーシアでは、イスラム教が国教です。
そんなイスラム教が国教の国で暮らす知り合いにこんな問いを投げかけられました。
「宗教というものがこれまで私を育ててきたけど、教えとかをそこまで意識していない人たちは、どうやって将来像を思い描くの?」

例えば、「人をあやめてはいけません」「不倫してはいけません」「嘘をついてはいけません」「盗んではいけません」など、宗教によって人の道徳的なものを学ぶことがあると思います。
一方で、特定の宗教を信仰していないとして、そういった教えを学びそういった道徳観を大切に思う機会がない場合、どうやって育てていくのか、というのが彼女の問いでした。

私の感想:「、、、確かに。」
あまり考えたことはないけれど、もっともな疑問だと思ったのです。
例えばいいお嫁さんになりたい、という理想があった時、その理想はどこから養われるのでしょう。たくさん働いて子供にいい教育を与えたいと考える場合、その思考は何から影響を受けるのでしょう。
私たちが今日こうして思惑し、考え、夢を見ているものは何かしらのきっかけから来るものであって、突然降ってくるものではないはずです。
宗教の教えが、そういったものに影響を与えているのだとしたら、そういった宗教の教えなどと距離がある暮らしをしている人はどうやって理想や考えを育てていくのか、というのが私も気になりました。

私の中の現時点の印象は、家庭環境が半分、それ以外が半分。
ここで触れた「家庭環境」とは、自分の家族や親戚が持っている考え方や行いからの影響で、その中には日本人としての季節ごとのイベントや享受している文化なども含まれます。
そして「それ以外の半分」の中に、友人との会話、外で見聞きしたもの、テレビや動画、本やマンガなどから学ぶもの、そして学校で学ぶ「道徳」の授業などがあるのかなと感じました。

※※※一般論で書いています。もちろん「人に寄る」、というのが大前提です※※※

そんな思いめぐらしの中に、道徳の授業がそういえばあったな―と思い、
国教が存在しているわけではない日本だからこそ、人に対する道徳的な学びをどこかで入れなければならず、それを家庭環境だけに依存するわけにはいかないので公教育の中に含んでいるのだろうか、という風に思ったのでした。

日本海外問わず、世界には、宗教教育として、教会に行ったりお寺に行ったりモスクに行ったり、そして教えを受けることで道徳的な価値観を学ぶことがある子がいる一方で、違う環境で育つ子もいます。
きっと道徳観や倫理観などを表立って教わらない場合、悩んだり自分が進む正しい道は何だろうとさまよったりすることも多いだろうと思い、大人としてそういったものを意識する必要は、少なくともあると思いました。そういった子どもたちへの道徳的な気付きや学びを支えていくことが大事だなと思いつつ、自分はどのようにして今日この時の理想や正解を探し求めてきただろう、とふと思いをめぐらした日でした。

あなたは、今日のあなたを何が育てたと思いますか?

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いくみ 
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