<日本と違うものシリーズ>その3:結婚と離婚と元○○
任地309日目。水曜日。
1日オフィス。JICA関係のちょっとした対応と今度行うワークショップの話を同僚とカウンターパートに話しました。そのあと農業組織の長が来るとのことで4時からの集まりに参加し、今後あなたたちの組織でワークショップやらしてねって言う話をしていました。目的は農家に自信をつけてもらうこと、そしてモチベーションや主体性の向上。
そのあとはミサに。
キリスト教は4月にある復活祭(イースター)がとても大きなイベント。南米ではセマナサンタと呼ばれる1週間。熱心なキリスト教徒は毎日教会に行くなど、大切なイベントです。
そのセマナサンタが始まる40日前が今日。この40日前の水曜日を灰の水曜日と言い、ミサで額に灰で十字架を書いてもらいます。
この日からセマナサンタまで「preparacion」という期間に入り、許しを得たり祈ったりするそうです。復活祭に向けていろいろと準備をしていくみたいですね。私も今日は聖歌隊に参加するつもりが、誘われてミサに。額にも灰で十字架を書いてもらいました。
いつもよりたくさんの人にびっくりしながら、それほど大切な日なんだなあと感慨深く参加していました。
ところで、タイトルの話に移りましょう。
日本と違うものシリーズ!!
その1はこちら
その2はこちら
ペルーは、というかスペイン語圏はおそらくほぼすべて?
名前と名字が複数あります。
日本人は名前、名字。の1つずつ。
でもたとえば、
クリストフェル(名前1)・カルロス(名前2)・プラチェ(名字1)・マサ(名字2)
のように、名前と名字が2つずつある人がほとんど。
名前に関してはたまに1つだったり3つだったり。でも2つがほとんどですね。
そしてこの名字1はお父さんの、名字2はお母さんの名字です。
そしてペルーの多くの人は籍を入れずに結婚する人が多く、名字も生涯変わりません。もしパートナーの姓を表すときは、例えば上の名前の人がフェリペという人と結婚した場合
クリストフェル(名前1)・カルロス(名前2)・プラチェ(名字1)・マサ de フェリペ(パートナーの名字)
となります。
「de」は英語で言う「of」。「~の」を意味しています。そのため所有的な雰囲気になるためあまりde~までは名乗らない人が多いみたいですね。
そもそも籍は入れないとしても、関係なく仲良く暮らす夫婦。しかしながら、私の周囲を始めとし、多くの人が離婚経験者です。
例えば日本では離婚はわりかし珍しい方で、私の周りの大人を適当に10人集めても2組くらいしか割合的には離婚はいないイメージ。(最近は3組に1組が離婚するとも言われていますが)
一方ペルーで適当に大人を10人集めたら7組くらい離婚しているイメージ。
それくらい離婚のハードルが低いなあと思います。特に私が住んでいるのは田舎の方なので結婚がそもそも早いし、できちゃった婚とかも多いし、若くして結婚するのもあって、それが結果的に離婚率を上げている可能性もあるのですが。
ペルーに来る前からも離婚については特段マイナスに捉えすぎるのはよくないなと思う派でしたが、ペルーに来てみてやっぱり、離婚ていうものへの考え方が変わりつつあります。
例えば日本で離婚をするとなると、姓をもとに戻さないといけなかったり世間体があったりでいろいろストレスが多い気がします。
また何よりも経済的な問題と子供の問題が大きくて、離婚したくても我慢したりなかなか現実的でなかったりするのかなと思ったり。日本で離婚となると、例えば専業主婦だった女性はどうやって社会進出するの?って不安があったり、子供がいればシングルファザー、シングルマザーになって負担は大きくなります。
つくづく、日本てそういう意味で住みずらいなあって思うのですが、その理由が世間体や地域ネットワーク的なもの。それが逆にクリアされているペルーは離婚しても変わらない日々を送れている気がします。
たとえば世間体については、そもそもみんな離婚しているので離婚が珍しいものではなく、あー離婚したのね、はいはい、くらいのスルー度合い。こうこうこういう事情で離婚したのよ、くらいの会話をした直後にはもう別の話題に入っています。みんな同情はしても非難や干渉はしないし、世間体的にはストレスはあまりないなあと思います。姓の問題も、結婚しても名字変わらないので問題ないですしね。
経済的な問題や子供のことについても問題はほとんどありません。なぜなら片親であってもお母さんや兄弟が面倒をみてくれるから。
たとえば母方に子供が3人引き取られるとして、その母も実家に帰れば親がいて兄弟姉妹がいて、伯母がいて伯父がいていとこがいます。そんな感じでみんな面倒を見てくれるし、子供の面倒は自分が見るとしてもご飯を作ってくれたり一緒にまとめて洗濯をしてくれたり、一人で子育ては大変だけれども、助けてくれる人がたくさんいるんですよね。
ペルーの私の任地では子供がいて離婚しても、生きるので精いっぱいということはないなーと見てて思います。
また離婚している人が多いのでよく思うのですが、元夫、元妻のことを元○○って呼ばないんですよね。名前でも呼ばない。子供の母、と呼んでいます。
たとえばこの前友人が、子供一人いるって話をしてくれて、その子は今誰が面倒見ているの?と聞くと「彼(その子供)の母」というんです。
関係性的には元妻なんですけれど、元妻って呼んでいる人見たことないです。興味深い。
前にも、とあるおばあちゃんのステイ先におじゃま邪魔していて彼女は孫(娘の息子)がいたのですが(仮にカルロスとしましょう)、急に街中で知り合いのおじいちゃんと出会って仲良さそうに話していたんですよね。
そのあと、『彼はカルロスのおじいちゃんよ』というので
(あ、娘さんの旦那さんのお父さんかな)と思って
「じゃああなたの娘の旦那さんのお父さんか!」といったら『
違う、。。私の元旦那』と言われてびっくりΣ(・ω・ノ)ノ!。
あんな中よさそうに話していた人、元旦那かーい!と思い、自由に仲良くしてしがらみもなさそうでこちらがすがすがしかった。
離婚が割かしオープンな社会だからか、子供のために別れたパートナーと一緒に過ごしたりする人もいて、
名字や世間体、子育てのしやすさや経済的な事情がここまで違うと、離婚も選択しやすくなって、ハードルが低い分離婚率も高いけれどその分離婚した後も別れたパートナーと仲良くしたり子供を遊びに行かせたりしていて、そういう自由度の高い感じがいいなあと思いました。
日本だと離婚というとネガティブなイメージを持つ人が多い気がして、本人たちはそんなことがなくても、そういうイメージが余計子育てをしずらくしていると思います。
私の親は離婚していないので想像力に欠けてしまいますが、片親だから不幸とか親がそろっていれば幸せなんてことはなくて、そういう離婚へのネガティブな考えが実際に離婚する人や離婚した親の子供を傷つけるんじゃないかなって思います。核家族も多いし子育てネットワークもないところが多い。名字を戻すと会社でいろいろうわさされるかもだし。だから日本は離婚がしにくい。
ペルーにいると、みんな好きに恋しています。数十年先なんて考えない、今目の前にいる人が好きなら結婚するし、って感じに見える。
だから数年先にもしかしたら何かがきっかけで離婚しちゃうのかもしれないけれど彼らは別にだから何って感じだし。
なにが興味深いって、その離婚した後にみんな結構恋人をつくるのだけれど、その恋人と超仲良くしていて、結婚しているときより満喫しているんじゃないの~って思う。いさぎよい。
別れたくてもいろんなことを考えちゃって別れられない人がいる社会もあるのに、その時に好きになった人と全力で愛し合って楽しそうにする社会もあって、
子供のことは?経済事情は?ってなるかもだけれど、新しい恋人がある程度面倒見てくれたりもするんだと思う。
離婚万歳!とは言わないし、親が離婚したことでつらい思いをしている人もいると思うから、離婚が正しいとか簡単に結婚してもOKとかそういう風には思っていない。
社会が変われば結婚や離婚に関する価値観ってもちろん変わってくるし、
押し付けられた社会のイメージに押しつぶされそうになることがあるなら、その必要はないんじゃいかなと思っただけで
というか、それくらい日本とペルーの違いが顕著だなと思って。
まとまらないけれど、そんな話でした。