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遥かなるアーダス
☆廻廊コラム☆(5)
水瓶座30度「花咲けるアーダスの野」
水瓶座のグランドフィナーレのシンボルであるアーダスの野。
そもそも「アーダス」とは一体何なのでしょうか?
アーダスとは何か?
アーダスとは、マリー・コレリの小説に登場する土地の名前です。
私がサビアンシンボルを学び、あるサイトを制作していた時、このアーダスについてのヒントが無くて、締め切りの時間に追われて悩み苦しんでいたことをよく憶えています。
今回、私の方で復習するにあたり、改めてアーダスについて調べてみました。
マリー・コレリについて
マリー・コレリ(Marie Corelli 1855年5月1日生まれ~1924年4月21日逝去)は、20世紀初頭に活躍した英国の小説家です。
サビアンシンボルが1925年にジョーンズとエリスの「実験」によって生まれたことを考えると、ちょうどその前年に逝去した人気作家マリー・コレリは、彼らにとって「時の人」だったのでしょう。
マリー・コレリは22歳の時の処女作以来、数十冊の著作は当時どれも大ベストセラーとなり、凄惨小説の最高作家としてイギリス大衆文壇の女王だったとのこと。日本でも明治26年に『白髪鬼』の題名で翻案され、当時かなりの人気だったそうです。
こちらのサイトにも詳しく彼女のプロフィールが掲載されています。
翻訳しますと
メアリー・マッケイは、ミュージシャンとしてキャリアをスタートし、マリー・コレリという芸名を名乗ったイギリスの小説家です。彼女は音楽をあきらめて執筆に転向し、1886 年に最初の小説『二つの世界のロマンス』を出版しました。当時、彼女は最も広く読まれていたフィクション作家でしたが、過度にメロドラマ的で感情的な文章のため、多くの文学界のエリートから厳しい批判を受けました。
マリー・コレリ(本名メアリー・マッケイ)は、ヴィクトリア朝およびエドワード朝時代のベストセラー小説家であり、当時の物議を醸した作品から、ニューエイジ運動の初期の提唱者としての評価を得ている。
1890年代、マリー・コレリの小説は、イギリス、アメリカ、植民地で何百万人もの人々に熱心に読まれた。彼女の読者は、ヴィクトリア女王やグラッドストンから、最も貧しい店員まで多岐にわたる。
彼女は全部で30冊の本を執筆し、その大半が驚異的なベストセラーとなった。彼女の小説は批評家に無視されるか、軽視されたにもかかわらず、成功の絶頂期にはイギリスで最も売れ、最も高額の報酬を得ていた作家だった。
彼女は、詩人、ジャーナリスト、作家、アンソロジスト、小説家、ソングライターのチャールズ・マッケイの娘であり、兄は詩人のエリック・マッケイであった。
出典はマリー・コレリの中編小説
さて、マリー・コレリの小説で、アーダスが登場するのは一体どの作品なのでしょうか?
「Marie Corelli Ardath」で検索すると、Amazonの洋書が出てきます。
アーダスが登場するのは、この
Ardath: The Story of a Dead Self (1889年)
紙の本ではお高いのですが、Kindleではなんと0円です!
内容説明文を抜粋しますと:
『アーダス』はコレッリの最も奇妙な物語の 1 つ。主人公は超自然的な天使に恋をする。彼はまだ彼女と結ばれるに値しないので、7000 年前の幻想的な世界へ旅し、そこで変身して数々の冒険を体験する。
アーダスは日本語翻訳されていません。
英文だと先のKindleで読めますが、Kindleだと翻訳が難しい。
既に著作権は切れていて、全文掲載されているサイトがありますので、そちらから自動翻訳して読むことをおすすめします。
この電子版が20数年前、某サイトを作る時にあったのなら…と、少し悔しい思いです。当時、原書の存在にすらたどり着けず、正直、よくわからないままだったことを思い出します。
それに、最近の自動翻訳は本当に良くなりました。
当時は、ここまでスムーズな日本語での自動翻訳は出来ませんでした。
小説で出てくるアーダスの描写
今回、翻訳しながらの斜め読みですが、全文読んでみました。
先ほどのマリー・コレリの作品での批評で「過度にメロドラマ的で感情的な文章」とありましたが、確かに…あまりの装飾語の多さに閉口します(汗)
ひとつの事象を表現するにあたり、ここまで盛らなくてもいいのに、と思うくらい強烈な量の文言がずらずらと並びます。
エズラ記に出てくる「アーダス」の地
アーダス(アルダス)とは地名であり、ヘブライ語聖書中の一書である「エズラ記」に出てきます。
そして天使は私に荒れ地に入るように命じた。その土地は不毛で乾燥しており、植物は生えていなかった。その土地の名前はアーダスであった。
そして私は長い夜の間そこをさまよい歩き、野原の銀色の目が私の前に開き、私はしるしと不思議を見た。
そして私は大声で「エズラ、エズラ」と叫ぶ声を聞いた。
そして私は立ち上がり、立ち止まり、再び声が聞こえるまで耳を傾け続けました。
神はわたしに言った。『あなたが不毛だと思っていた畑を見よ。月はなんと素晴らしい栄光を現したことか。』
そして私は見て、非常に驚いた。私はもはや私自身ではなく、別の人だったからだ。
そして、死の剣はもう一人の魂に宿り、それでももう一人の私は苦しんでいた。
そして、私はかつてよく知っていたそれらのことを知らず、私の心は恐怖で震え上がった。
そして声は再び大声で叫んだ。過去の危険と将来の危険から身を隠せ。偉大で恐ろしいことがあなたに降りかかっている。それに対してあなたの力は風に吹かれる葦のようで、あなたの考えは舞い上がる砂のようだ…
エズラ記の「アーダス」は不毛の荒れ野であり、シンボルにあるような「花」は出てきません。
小説に出てくるアーダスとその花
マリー・コレリは、エズラ記に出てくる「アーダス」を、主人公と天使の邂逅の場としました。
仮死状態で幽体離脱した主人公は、魂だけの状態になって、異世界の「アーダス」で超自然的な「天使」と出会い、強く恋い焦がれます。
現実にもその地があると知った彼は、実際に存在するアーダスまで旅行します。その時の表現は以下になります。
ユーフラテス川の東岸、エルミタージュのほぼ反対側に、かつてバビロニア王の宮殿に属していた青銅の門の沈んだ破片があります。この破片の南西 3 マイル半、それと一直線に、まっすぐに地面に埋もれた赤い花崗岩の柱が倒れています。この壊れた柱の向こうに広がる四角い土地は、預言者エズドラスが「アーダスの野」として知っていた野原です。
(中略)
不思議な、不自然な落ち着きが突然彼を支配し、… 彼は静かに、ほとんど冷たく、無関心に、目の前の光景を眺めた。
広い平らな土地が、粗い草の房と野生のギョリュウの群落で覆われている。… それ以上のものは何もなかった。これがアーダスの野だった。
… このむき出しで、愛すべきもののない荒野で、輪郭を飾る木さえない! 彼が立っている場所から、その全容を見渡すことができた。そして、その完全な荒廃を見て、彼は微笑んだ。かすかな、半ば苦い笑みを浮かべた。
現地にいったものの、エズラ記通りの不毛の荒れ野であったアーダス。しかし、彼はそこから神秘体験をします。
「結局花だ!」と彼は叫んだ。「あるいは芳香のあるハーブかもしれない…」そしてかがんで足元の芝生を調べた。
驚いたことに、彼は星形で光沢のある葉を持ち、中心が深い金色で、明るい露の雫がブリリアントのようにきらめき、そこから見えない祭壇に振り回される香のように香水の煙が立ち上る白い花の密集に気づいた。
彼はほとんど恐怖とも言える疑念を抱きながら花を見つめた。
…それらは本物なのか?…これはエズドラスが「奇跡と不思議」を見た「銀の目」なのか?…それとも彼は妄想で絶望的に脳を病み、また夢を見ているのか?
彼はためらいながら花に触れた。それは本当に生きていて、ベルベットのように柔らかいクリーム色の花びらを持っていた。
彼はその花を一つ摘もうとしていた。
すると突然、平原を滑るように進むかすかな影のようなものに彼の注意が引きつけられ、釘付けになった。
かすかな叫びが彼の唇から漏れた。彼は飛び上がって、半ば希望を持ち、半ば恐れながら、熱心に前を見つめた。
月明かりの中をゆっくりと、穏やかに、そして独りで歩いているあの細い姿は何だろう?…一瞬の休みもなく、彼は衝動的にその方へ突進した。
彼が歩いている間に、何千ものあの奇妙な星のような花を踏んでしまったことにも気づかなかった。その花は今や突然成長し、地面の隅々まで覆い白くし、こうして昔から言われてきた言葉を驚くほど実現している。
「見よ、汝は不毛の野原と見なした。月は何と偉大な栄光を現したのだ!」
主人公はそこで天使と再び出会い、さらに不思議な世界へと誘われていく、というストーリーです。
エズラ記では荒れ野だったアーダスは、この小説では、天使というアガペーに包まれた存在と出会う「約束の地」であり、「星形で光沢のある葉を持ち、中心が深い金色で、明るい露の雫がブリリアントのようにきらめき、そこから見えない祭壇に振り回される香のように香水の煙が立ち上る白い花」が咲き乱れる野原に変わりました。
主人公は作中、何度も臨死を経験します。己の生命すら差し出して神秘体験をすることで、超自然的な存在である「愛する人」と再会し、「愛と信仰」を合体させます。そして共に、この世界の未来を輝かしいものにするために、希望の旅へと発つのです。
サビアンシンボルにおけるアーダスとは
このアーダスについては、ジョーンズとルディアは以下のように説明しています。
ジョーンズ:
マリー・コレリが表現した、古代バビロンの神秘的な草原
ルディア:
最初に記録されたサビアン シンボルは、「花咲くアーダス原野」と述べられており、これはマリー・コレリによる古代バビロンを中心とするオカルト小説のシーンを指していました。マーク・ジョーンズはバビロニア(または「サビアン」)のルーツを持つ同胞団との内なるつながりを強調しているので、この言及は「盲目」だったのかもしれない。
エリスはなぜ、アーダスを視たのか
エリスはこの小説が好きだったのだと推察します。
少なくとも熟読していたのでしょう。
だから、実験中にアーダスのビジョンが浮かんだのだと思います。
ニューエイジ運動の初期の提唱者としてのマリー・コレリへのリスペクト、インスパイアがそこに顕れたのでしょう。
バビロニアのルーツを持つ同胞団との内なるつながりを強調していた、ジョーンズとサビアンシンボル。アーダスは、バビロニアの古代の人々との深いつながりがある地として描写されています。実験のあと、サビアンシンボルをまとめていた時代には、マリー・コレリの「アーダス」はその名前を聞いただけで理解できる存在であったと推察します。
しかしルディアが「盲目」と表現し、自分が出したサビアンシンボルの本にはアーダスの名前を入れなかったのは、おそらく彼の評価として、小説「アーダス」はかなり低いものがあったのでしょう。時代的にも既に忘れ去られていた存在だったのかも知れません。単なるバビロニアつながりで、内容とリンクさせるのは無理があるという判断だったのでしょう。
理想郷の象徴、アーダス
私も今回、アーダスをざっくりと読みながら、水瓶座30度のシンボルとしてはどうなのかな…と疑問に思いました。
しかし各サインの30度が、サインの総決算であり、皮肉めいたニュアンスを含むという視点で考え直すと、なるほどと納得できるのです。
過剰なまでの「言葉(情報=風の元素)」で表現した、現実には絶対に存在しえない「理想郷」であるアーダス。
生命すら超えて、魂のレベルでアガペーと一つに溶け合う約束の地。
現実と霊魂の世界のはざまに存在するアーダス。
批評家に無視されるか、軽視されたにもかかわらず、絶頂期にはイギリスでベストセラーとなり、熱狂的なファンに支持されたアーダス。
「目覚めた」人たちのための理想郷。
本人らはいたって真面目ですが、客観的に見た時にやや道化めいた理想郷であることを象徴しているのが、このアーダス度数と考えても良いのかも知れません。