傷心の日々
失恋をしてしまったが、嘆き悲しんでいるというワケでもない。
今まで彼との未来を妄想してはニヤニヤしていた時間がぽっかり空いてしまって、さぁどうしようか、と思いつつ、淡々と過ごしている。
最近くだんの彼に会った。
その前彼に会った時、私は彼にお誕生日プレゼントを渡し、カードに自分の想いを込めて、「私のお誕生日にメッセージ頂けたら嬉しいです」と書いたのだが、メールは来なかった。
彼は会った第一声でこう言った。
「お誕生日おめでとう。プレゼント嬉しかった。来年も期待してます」
もちろん私はプレゼントもカードももらっていないのに。っていうか、お誕生日にメールもくれなかったのに?
まぁ、彼にも色々事情はあるのだろうが、そんな扱いってあるもんだろうか。
私は彼の真意をはかりかねた。
彼は自分のお誕生日の前に私に会った時、「僕、この日お誕生日なんだ。プレゼントに僕の好きな飲み物が欲しいな」と言ったのである。言った時点で、彼は私が彼のことを好きなことは知っていた(知らなかったらこんなおねだり出来ないだろう)。告白したことはなかったが、そうと分かる言動を繰り返していたし、彼の同僚も私が彼のことを好きなことを知っているくらいだった。
私だったら、自分が気のない人からリクエストしてまでプレゼントをしてもらいたいとは思わない(職場の人からさりげないプレゼントなどあればそれは嬉しいが)。そこに特別な想いがこもっていればなおさらだ。
彼のリクエストした飲み物は、そこいら近所のスーパーでどこでも売っているものだが、私はちょっと珍しくてめちゃくちゃ美味しいものがプレゼントしたいと思って、百貨店で買った。中身からも包装紙からも私の気合いが彼に伝わったはずである。その上で重たいバースデーカードを彼は読んでいるのである。
その上で、メールもくれないのに、「来年も期待しています」とはどういうことなのだろうか。
どういうことなのだろうか、とは言うものの、彼が私の気持ちに応える気がないことは明白だ。好きな人にこんな頓珍漢な対応をするあんぽんたんはいない。
「僕は君の気持ちには応えられないけど、君が僕のことを好きでいることに関しては迷惑とは思っていない」
ということなのかなぁ、と私は解釈している。何だか釈然としない。せめて「プレゼントありがとう。気を使わせてごめんね。来年からはいいからね」くらいのふんわり感で「拒否」してもらえないものだろうか。
とある心理カウンセラーがこんなことを言っていた。
「失恋の悲しみとは彼に愛してもらえないことにあるのではなく、彼を愛することをやめなければいけないことにある」
その意味で言うと私は別に彼を愛することをやめる必要はない。彼は私の愛を拒否はしていない。そして確かに今の私は失恋の悲しみ、というような大仰な悲しみは抱いていない。ぽかーんとしている。
でも何だか気持ちの悪さが胸にあるぞ。振るならはっきり振って欲しい(振られていることははっきりしているが)。泣かせておくれよ、と思うのは私のわがままなんでしょうか。
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