めいちゃんに5ヶ月間のコーチングを受けてとても良かったので、その記録。
こんにちは「聴くということ」を探求中の仁科育美です。
先日、5ヶ月間、伴走してくれたマイコーチめいちゃんと完了セッションをした。
完了セッションは今までの時間を振り返り、いま経験したことを、「自分の物語にしていく」時間。
振り返ることで、自分の辿ってきた道のりの意味、いまここで、めいちゃんに出会ったこと。全部、ちゃんとつながってるんだなって思った。尊い物語を歩んでるんだなって思えた、とてもいい時間だった。
そんな私が歩んできた物語を、自分のために残しておきたくなったので、ここにnoteに記しておきたい。
めいちゃんとのセッションはいつも泣きそうで、溢れたがってる気持ちでいっぱいだった。自分とすごく向き合って、葛藤していた時期だった。とにかく痛みに触れた時間だったなって思う。
暗い暗い闇の中、心が揺れ動いて、揺さぶられて、でも、その先に確かな光がある。そんな道をめいちゃんとゆっくり、一緒に旅している期間だった。
不思議だけど、これでもかっていうくらい果敢に痛みに会いに行っていたなと思う。自ら望んで行っていた。「痛み」というより、その先にある、温かいものを求めていたんだと思う。そこが自分の命とつながっていける場所なんだなって、なんとなく思った。【いのちとつながりたい】と願った時間だった。
まさにTHECOACHアカデミーで学んだ、BeWithコーチングって、こういうものなんだなって、体感した時間。
そこに居続けるのを、私も頑張ったし、めいちゃんも一緒に居続けてくれた。
めいちゃんに言ってもらった「感じるところでしか繋がれないんじゃないかな」って言葉はすごく印象に残っている。
ただただ、感じた。そこにめいちゃんがともに居てくれた。そんな時間だった。
めいちゃんとのセッションでの最大の学びは、わかろうとしなくて良いってこと。むしろ、わかろうとするからわからなくなるんだ、と実感した。
わかろうとした瞬間、逃げていくアメーバがそこにいた!!!!
私には酷く醜いアメーバがいる。ふにゃふにゃで、隅っこにいて、隠れたがっていて。でも、見つけて欲しくて、本当は隅っこまできて、そばにいて欲しいと願ってるアメーバ。鼻がなく顔半分が火傷して、自分のことをものすごく醜いと思ってて、自己の存在を否定し、世間に面体を晒してはいけないと思ってる。私に申し訳なさそうにしていて、でも、逆に、私に対して敵対心を持っているアメーバ。
抱っこしてあげようとしたら、ジタバタしてヤダヤダヤダ!って怒って、抱っこをすり抜けて、また隅っこに戻ってしまう。そんな存在だった。
そして、
アメーバの存在に気付いたからといって、「これをどうにかする、受け入れる、表現する、つながるなど行動とか思考になると」(byめいちゃん)、、、逃げていっちゃうんだ!
気付いたから、だったら早く「何とかしたい!」と、急いでしまう私もいたけど。早く統合して、痛みをなくして、楽になりたい、、って思っちゃったけど。
急いじゃダメなんだ。急がなくていいんだ。わかろう、自分のものにしようとしたら逃げていってしまう存在だから、もう、ただただ感じていたらいいんだ。って思った。
わかろうとするのはやめて、コイツが私の中にいるんだなぁ〜と、アメーバとただ共に一緒にいて感じてみようとした時に、じんわり、わかったものがあったなぁと思う。じんわり、じんわり、じんわり。
たぶん、いのちの声は、ゆっくりじんわり、少しずつ体で感じていくものなんだろうなーってなんとなく思えた。「もっと、ゆっくりでいい」んだ。
めいちゃんが、私とともにいてくれたように。
私も、その子たち(アメーバや小さい子や、名もなき感情)とともにいたらいいんだ。って思った。揺れうごく感情、心細くて、怖くて、蓋をしてしまいたくなるその感情に、ともにいる。そして、本当に、何一つ何もしようとしなくていいから、そっとそばにいて、感情が感じてることを私も感じてみたらいいんだなって思った。体や心が感じてることを、私が感じきってみる。
そうすることで、蓋をされて、なかったことにされて、一人ぼっちで冷たくなっていた感情が、納得して安心していくような、そんな感じがした。
(そして、この経験を通して、普段、私は、いかに自分の身体感覚を自分のものとして感じていないかがわかった。もっと、体の声に耳を澄ましていたいな)
めいちゃんとのセッションの旅路にタイトルをつけるとすれば「そっと、心の声を聴く時間」だったと思う。
「この自分の体は、いま何を感じているのかな?」「心は何を感じているのかな?」と、体と心の声に耳を澄ました時間だった。頭で考えるのをやめて、ただ感じることをした時間。
そして、改めて、今noteを書きながら気づいたのだけど🌱
めいちゃんとの時間って、この【命の生きる声に耳を澄ます】を体現したい時間だったんだな、って思った!
(そして奇しくも、めいちゃんのビジョンも、すごく共感するものだった!私がめいちゃんのビジョンを語ることはできないけど、でも、すごく、にてる!!って勝手に思ってる。)
いま、この期間にめいちゃんにセッションしてもらえたことに感謝。
「なんとなく」めいちゃんにセッションしてもらいたいなぁ〜と申し込んだけど、何か、そこに惹かれるものが自分の中にあったんだな。って、いまは思う。それって、すごいことだ。
なんか、何かを書いてるようで、あまり何も書いてないようなnoteになっちゃったけど😆
めいちゃんとの旅路の軌跡をそっと、ここに置いておく。
誰かに見てほしい、っていうよりは、自分の軌跡としてここに置いておく。自分の人生がここに紡がれているんだよって、自分に自分の物語を伝えてあげたいんだなぁ。自分のために。
でも、誰かの何かになればいいなぁ、とも思う。
そんなこんな、な、そんな感じで、旅路の軌跡をここに、置いておく。
めいちゃんとの旅路を終えて、これから、私は「そっと心の声に耳を澄ます」物語をもう少し探求してみたいと思ってる。今は入り口に立っていて、もう少し奥に入っていきたいな。
静かな、時間の流れもとまっているような、というか、時間がゆっくりと進んでいて、かすかな音に耳を澄ませられる場所。
そんな場所にいって、ゆったりと、自分の身体と呼吸、いのちを感じてみたい。
なんて思ってるここ最近のことも、置いておきながら。次はどんな旅路になっていくのだろうかと思いを馳せて。noteを閉じようと思う。
めいちゃん、ありがとうございました!