白菜のほんとの値段を知っていますか?
このポッドキャストの関連記事です。
ポッドキャストの10分30秒あたりで話したことですが、私の前職である学校の先生とか、あるいは大企業のサラリーマンとその妻のような人たちと話してびっくりすることがあります。
それは、物の値段=販売者の利益、って誤解してるってこと。
何言ってるか分かりますか?
たとえば、八百屋さんが白菜を100円で売ったら、その八百屋は100円儲かった、つまり100円は八百屋の利益だというふうに受け取るということです。
当然ですが八百屋の店先に白菜が生えてくるわけじゃなく、八百屋さんは毎朝、市場へ行って白菜を「仕入れて」来るわけです。そしてその「仕入れた白菜」を値段をつけて店頭に並べるわけです。
その売値が100円で、仕入れた値段が80円だったとしたら、八百屋さんの利益は「20円」。つまり20円しか儲けてないわけですよね?
小学生でも分かります…よね?
白菜の場合は仕入れ値の他に、市場までいくトラックのガソリン代、トラック自体の購入費用、仕入れに行った人の人件費、白菜を並べておくお店の照明、冷暖房、さらに地代家賃など、たくさんの「経費」がかかっています。
だから、利益が20円しかなかったら、白菜を何十個も売る必要がありますよね?白菜を仕入れたついでにナスもきゅうりも仕入れて、白菜と一緒に買ってもらう工夫も必要です。
白菜でさえこの有様なのに、自動車だったらどうですか?
自動車は畑に生えてこないので、大きな工場を建て、組み立てラインを作り、組み立てるロボットも導入しないといけないし、1万点とも言われる部品を下請け工場から買わないといけないし、販売店にも手数料を払うし、もちろん何万人もいる従業員には毎月お給料も支払うわけで…
めっちゃ経費かかるわ…
ってこと。
ただその経費はドブに捨てて海に流すわけではなくて、従業員や下請け工場や原料を売ってくれる会社など、すべて「人」に手渡すために使われて、それをもらった人が、生活のためにそのお金を使い、その一部が八百屋の白菜購入にも使われて、八百屋さんに20円の利益(金額は適当です笑)をもたらす、恵みの雨のようなものとして、機能するわけです。
それが社会の(理想的な)仕組みであり、公務員であれ大企業のサラリーマンであれ、あなたがもらっているお給料の原資は、そうやって多くの人が何かを買ってくれたお金から発生しているわけです。
公務員はお給料が公金なので、人々の経済活動は関係ないと思いがちだけど、公金も人々の税金を使っているわけなので、みなさんの経済活動がなかったら税金も集められず、自治体は公教育を維持できず、江戸時代の寺子屋に(今でいう私塾ですかね?)逆戻りです。
この社会で生きている限り、誰でも経済活動を行っている(消費という形で多くの経費の原資を提供している)、つまりこの世は持ちつもたれつ、役割分担と助け合いで社会が構成されている。
そういうふうに考えると、お金(ものの売値)に対する考え方も変わるはず。
学校の先生や大企業のサラリーマンがこの感覚を見失っていても、社会はまわっていきますが、ひとたび彼らが起業とか自営業とか個人事業とか、何かビジネスを始めようと思った瞬間に、この知識、この認識が必須になること間違いなし。
大企業で大きなビジネスを回していた人でも、個人になると全然鳴かず飛ばずって事例を私もよく見るわけですが、もともとの地頭が良かった人たちだけに、これはとても残念なことですね。
八百屋に生まれて白菜の原価を知っているような人のほうがよっぽど、起業家としての成功に近いんじゃないかと思います。
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