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ペルゴレージにとっての白鳥の歌


作曲家がその最期の時に生み出す神がかった名作品のことを、音楽家たちは「白鳥の歌」と呼びます。
白鳥の断末魔の声は得も言われぬほど美しい、ということからです。


私の所属するヴォーカル・アンサンブルCoro Lino(コーロ・リノ)が含まれる合唱団体“音楽工房くら”は、2023年9月17日に、Pergolesiペルゴレージ作曲の『Stabat Mater スターバト・マーテル』を全曲上演しました。

ペルゴレージという人

有名作曲家には短命の方が何人かいますが、Giovanni Battista Pergolesiペルゴレージは中でも特に、26歳で亡くなるという短さでした。
1710年生1736年没という、バロック最終期の「幻の」「伝説の」作曲家です。


バロック時代というのは音楽史全体を見渡すと、オペラの作曲、上演が最も盛んだった時代です。
(なぜ今はバロックオペラが上演されることがとても少ないのか、というのはまた別のお話)


ペルゴレージは、作曲家としての才能を活かす場をなかなか定められずにいた人でした。
いえ、人生が短かったからそう感じるだけなのかも知れません。

その当時のオペラ作曲の主流だった“オペラ・セリア”という、歴史や神話やキリスト教を扱った壮大な作品をいくつか作り、ある程度はもちろん上演されましたが、どれもそれほど大きな人気は出ませんでした。
それに対して、市民達の日常生活を舞台にした軽妙なオペラ・ブッファの方は、作る端から次々とヒット。

そんなことを繰り返してやっと、自分の持ち味は「聴く人の心にダイレクトに響く美しさ」「短い時間でドラマを描き出す構成の奥行きの深さ」なのだと、気づいたのです。

その時にはすでに20代半ばに近づいていました。
つまり、音楽家にとって一番大切な「自分の道を見つけること」が出来かけた、その矢先に人生を終えることになってしまったのです。

代表作に見られる世相

その代表作となった幕間劇『奥様女中』には「市民が貴族を揶揄する」ストーリーが描かれています。
それはそのまま、その当時の世相を表していると思います。


当時の音楽界では今のイタリアが世界の中心でした。
フランス王朝最終期の頃、「フランス音楽とイタリア音楽のどちらが優れているか」という、今思うとかなり不毛な論争が、パリで起こっていました。


そんな時に、小さなイタリアの劇団がやって来てペルゴレージのこの『奥様女中』を上演し、パリ市民の間で大ヒットとなりました。

このパリでの観客の気持ちが、モンテスキューの戯曲『フィガロの結婚』をオペラにしたモーツァルトという流れにもつながり、巡り巡って後のフランス革命へとつながりると私は感じています。

かなしみの聖母

悲しみ、哀しみ、どちらの漢字も、充分ではないと感じます。

中世に作られた『Stabat Mater』は、その後の時代にはキリスト教カトリックの儀式で歌われる聖歌となりました。


キリスト教聖歌というのは、初めの歌詞がそのまま曲名となるものがほとんどですが、この歌も「Stabat Mater dolorosa、、 かなしむ聖母が立ち尽くし、、」と始まります。


例え神の子であっても母親にとっての息子という存在は替わりありません。
息子が目の前で磔になり、身体を刺し抜かれて亡くなってゆく一部始終を見せられている母親。
この世にこれ以上のかなしみ、苦しみがあるか、という情景が描かれています。
人類の罪を背負って、という神に定められた成り行きから、常人ではない精神で見つめ続け立ち尽くす母親マリア。
そして、その光景の中で苦しみ涙しながら祈る民衆。

こんな内容の詞です。
ルネサンス時代から現代まで、とても多くの作曲家によってこの詞に音楽が作られました。

ペルゴレージの白鳥の歌


人生最後の年1736年1月に、ナポリ貴族たちによる“悲しみの聖母騎士団”から、『スターバト・マーテル』をという作曲依頼がありました。

その時すでに結核で病床にいたペルゴレージは、常人離れした気力でこの曲を完成させて、その直後の3月に亡くなったのです。



ひとつひとつは短い歌が12曲ある組曲。
最後の「Amen」を独立させて13曲という見方もあります。

1. Stabat mater dolorosa 悲しみの聖母は立ち尽くす
2. Cujus animam gementem その魂は嘆き(ソプラノソロ)
3. O quam tristis et afflicta ああ、何という悲しみ
4. Quae moerebat et dolebat 尊き御子の苦しみを(アルトソロ)
5. Quis est homo これほどに嘆きたまえる
6. Vidit suum dulcem natum また苦悶のうちに見捨てられ(ソプラノソロ)
7. Eja mater fons amoris 愛の泉なる聖母よ(アルトソロ)
8. Fac,ut ardeat cor meum その御心にかなうべく
9. Sancta mater,istud agas 聖なる御母よ(二重唱)
10. Fac ut portem Christi nortem われにキリストの死を負わしめ(アルトソロ)
11. Inflammatus et accensus おお乙女よ、審判の日に(二重唱)
12. Quando corpus morietur 肉体が死するとき
13. Amen アーメン


ソプラノとアルトそして弦楽合奏のために書かれています。
これを二人の独唱者のためと解釈する場合と、女声二部合唱作品と解釈する場合があります。

“音楽工房くら”の演奏

今回私たちが演奏したペルゴレージにとっての白鳥の歌である『Stabat Mater スターバト・マーテル』が、何度も重ねたリハーサルのたびに私たちに与えてくれた大きな感動は、何と言ってもこの“旋律の美しさ”からでした。


キリスト教の宗教音楽というのは、一見すると敷居のありそうに思えるカテゴリーかも知れません。
ですが、ペルゴレージの作り方は、バロック期の終わりを告げるそれまでに無い斬新さが特徴です。

そして「息子が目の前で亡くなってゆく様を見せられ立ち尽くす母親」という、この世でいちばんのかなしみと悲惨さを、とても個性的な音で現すこの旋律の、圧倒的な美しさ。

私たちのパフォーマンスしだいでは、お客様の心を揺さぶることが出来るかもしれない、と思いました。


「この曲は合唱でもいいでしょう」という表記がある部分を私たち合唱団が歌い、ソプラノソロには高橋薫子さん、アルトソロには牧野真由美さんという、とても贅沢なゲストをお迎えしての演奏でした。

当日配られるプログラムには、12曲それぞれがどんな場面を歌っているのかを、指揮者倉岡典子先生によってひと言で書かれていました。
「十字架のもとに絶望して立ち尽くす聖母マリアの姿」
「剣で刺し貫かれたイエスの苦しみ」
「ついにイエスの死を看取ったマリアの姿」など。

これらを知ってから聴いていただけたので、ラテン語であってもより深く感じていただけたのではないでしょうか。

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