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イントロとエンディング
Chère Musique
イントロダクション
シニアクラスの大勢で歌を歌う講座をしていて、けっこう頻繁に気になることがあります。
「それでは歌ってみましょう!」と言って伴奏を弾き始めて、または伴奏音源をスタートさせて、歌が始まるまでの間、歌い終わって伴奏の音だけになってそれが消えるまでの間、落ち着かずソワソワと手持ち無沙汰の表情をしている生徒さんがかなり多いということ。
これはなぜなのでしょう。
イントロとエンディング
歌の曲の、歌い始めるまでの部分をイントロダクション、歌い終わってから曲全体が終わるまでの部分をエンディングと言います。
日本語では前奏と後奏。
曲の途中の歌わない楽器だけの部分は、インターリュード、間奏です。
作曲家にとって、そして本当に歌うことの意味をわかっている歌い手にとっても、この部分は、その作品の世界を現す重要な部分です。
このイントロとエンディング、果てはインターでまで、MCとよばれる司会者や進行役によるトークを、演奏に重ねてしまうことが、テレビの歌番組などではよくあります。
今ではかなり少なくなりましたが、ひと昔前はそうすることが当たり前のような風潮もありました。
アナウンサーやアナウンスのお仕事をするタレントさんにとって、「この曲はイントロは約何秒、それ以内にこのセリフを、かまずにキレイに語り終えられるか」ということが、その人の話し手としての力量だ、という時代もありました。
今でもそう思っている方は多いと思います。
そういう行為は、語っている本人が決めることではなく、ディレクターが決めることであり、話す内容もカンペで指示されていることがほとんどだったのでしょうけれどね。
音楽作品と歌い手
最近はそういうことが少なくなってきたということ自体が、日本の音楽界のレベルが上がってきたことを現しています。
作曲家や編曲家にとっては、楽器だけの場面も歌っている場面も、すべてがその作品です。
もちろん歌の作品は歌が主役。
歌詞の内容とその歌い手の声と表現が、何より大切です。
でも初めの音が鳴ってから最後の音が消えるまではずっとその作品なわけですから、その歌声と歌詞の作り出す世界をより深く聞き手に届けるために、楽器の演奏がそれを助けます。
ですから、その楽器だけの部分をどんなふうに作るか、ということは作編曲家にとっては大切な仕事の一部。
能力を発揮しなければならないところなのです。
できれば歌い手も、その大切さをよく分かっている人であることが望ましいと思います。
自分が注目されてもてはやされることしか考えていない、歌を人の心を動かすためのものだというふうに考えられない歌い手で、自分が声を出していない時間は、その作品と関係ない立居振る舞いをする人も、時々いますね。
人前で歌わせてもらえる歌い手というのは、本当に力のある人ばかりですから、そういう場にいるということが嬉しくなって、そういう感じの人になってしまうのも人間として無理はありません。
でも、中には居るのです。
イントロから、ひいては始まる前のその場の雰囲気作りから歌の中の人物になって演じ始め、歌い終わってもエンディング中もずっと、すごい時には終わってから何秒かの間も、ずっとそのパフォーマンスから我に返らないという素晴らしい歌い手がね。
私はプロの歌い手ではありませんが、歌が大好きな、歌のコンサートをする音楽家として、そうでありたい、そうであるのが当たり前、そうでなくなんかなれない、と思っています。
作編曲家の気持ち
昔の歌謡曲や演歌で、イントロなどでの楽器演奏がとても魅力的な作品はたくさんありました。
そしてほとんどの場合、それに相応しい良い歌い手がそれを歌っていました。
例えば作品によっては、その部分で活躍する楽器を決めて、その音色でそこだけにしか登場しないメロディを奏でさせる、という曲もあります。
作曲者はその歌詞の世界を思い浮かべて曲を作るのですが、その歌詞を見た時に、歌のメロディよりも先にイントロの楽器のメロディの方が浮かんできた、という話も聞いたことがあるくらいです。
その選ばれた楽器は、その音色こそ、この作品の魅力を引き出す力を持っている、と作曲家や編曲家が思った楽器です。
そういう曲は本当にたくさんありますが、とても有名な曲でいうと例えば『津軽海峡冬景色』のアルトサックスやオーボエ、『夜霧よ今夜もありがとう』のテナーサックスなどが分かりやすい例でしょう。
イントロ、インター、エンディングで、司会者に重ねて喋られるとがっかりする。
ここをしっかりと聴いてもらえたら、聴き手に与えるその作品の印象は、より絶対に強くなるのに。
というのが、すべての作編曲家の気持ちだと思います。
ですから、そんなことなら初めからそれを覚悟して作ろう、と投げやりになってしまう、という話も聞いたことがあります。
また反対に、仕事と割り切って、演奏に被せて話されてももう感覚が麻痺してしまったという話も。
歌イントロやサビイントロ
「こんなふうに扱われるなら、いっそのこと歌の無い部分は適当に手を抜いて作ろうか。
いやそんなことはやろうと思ってもできない。
だったら、曲が始まってすぐに歌わせてしまえばよいのだ」
こんなふうにして、イントロ部分にも歌があったり、サビの部分の歌がそのままイントロとして使われていたりする作品が増えてきたのだと思います。
もちろん歌の歴史として各ジャンルに昔からそういう作り方はありました。
でも、この数十年の日本の歌謡曲とポップスの、歌イントロやサビイントロと言われる、イントロですでに歌い始める作品は、ほとんどが、一音目から聴いてほしいという気持ちの表れのように、私には思えます。
これはこれで一つの作り方として魅力があると思うし、そうすることで良さが出る曲もあるでしょう。
でも本当は、歌い手の立場から言うと、これは上級編です。
まず、始まりの音の音程を正確に取れる必要があるし。。
まぁ、この点はプロなら出来なければならないのですけどね。
それに、演奏が始まるだいぶ前から、気持ちをしっかり作って、パフォーマンスが始められなければならない。
いろいろな意味で、歌い手は、楽器だけのイントロがある方が楽に歌えるのです。
最近の歌手の皆さんは、イントロから歌うことを、がんばっていらっしゃいますね。
エンディング
というわけで、私の歌の講座では、イントロ、インター、エンディングでは、生徒さんへの声掛けなどはなるべくしません。
もちろん、アドバイスしたことを一生懸命に練習してくださっている時間や、演出をつけていて身振りや位置の移動を指示しなければならない時などは別ですが。
私が自ら、舞台の歌い手になってイントロからその世界に入り込んでいる、という雰囲気の態度でいれば、少しずつ「それも大切なのだ」と、みなさん分かってくれ始めているようです。
ひとつだけ、このチャンネルでも私の企画の音楽イベントでも何度もご紹介してきている、『地球のうえに』というメッセージソングだけは、イントロとエンディングがとても長くて、そして初めてこの曲に出会う方が多いので、その長いということに深い意味もありますから、そのイベントの顔ぶれによっては、「皆さんにとっての地球を考えてみてください」「さぁ!今歌ったこの気持ちを、遠くウクライナの空まで届けましょう!」などと、小さな声で音楽の流れに合わせて、話すことも、たまーにはあるのです。
イントロダクション、間奏、エンディング。
皆さんも歌う時にはどうぞ大切にしてみてください。
Musique, Elle a des ailes.