『音楽を生きる』和樹ヘーデンボルク写真展
Chère Musique
ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルクWilfried Kazuki Hedenborgさんによる写真展、『音楽を生きる~理想の果てしない追求 Living Music & the never-ending pursuit of the ideal』を観てきました。
モノクロのポートレート作品。
他の誰にも撮ることのできない、紛れもない“音楽”が写し出された写真作品でした。
ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルクさん
このかたはどんな方かというと、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の正団員のヴァイオリニストであり、室内楽やソロの演奏でも活躍。
あのウィーンのオペラ劇場でのオーケストラとしてのウィーン・フィルの代表者でもあります。
お父さんはスウェーデン人のヴァイオリニスト、お母さんは日本人のピアニスト。
弟さんがお二人いらして、どちらも音楽家。
次男のベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんはチェリスト、このかたもなんとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の正団員。
先日のニューイヤー・コンサート2023にご出演でした。
兄弟揃って世界一のオーケストラの団員だなんて、素晴らしいことです。
一番下の弟さんユリアン・洋・ヘーデンボルクさんはピアニスト。
この三兄弟で2017年に日本でトリオデビューをされて、以来、大人気で、私もいつかこの「へーデンボルク三兄弟」の演奏を生で聴いてみたいと思っています。
今はご兄弟3人ともウィーンですぐ近くに暮らしていらっしゃいます。
写真展
少し前にウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート2023の感想を、このnoteに書きました。
その中で、NHKの解説ゲストとしていらした和樹さんのおっしゃった素晴らしいひと言を、いくつかクローズアップしました。
以前から感じていたのですが、お話しされることがひとつひとつ、内容が深くて、ハッとさせられることがたくさんあります。
音楽を演奏する専門家として、あまり他では聞いたことのない個性的な視点や着眼点をお持ちで、たぶんとても考え深いかたなのだと思います。
それが芸術家にたまにあるファンタジーの方向に行き過ぎず、「現実的にどんな行動を取るとどんな新しい方向へ進むことができるのか」というふうに物事を考えていらっしゃるように、私には思えます。
そんなひとつの現れなのか、写真家としても活動されていて、その活動がとてもユニークです。
何度か展示会を開催されているほどの腕前だそうです。
そんな和樹さんの、最新の写真展がまさに今日本で開催中だということを知り、さっそく行ってみました。
どんな内容なのかというと。。。
世界最高峰のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラの、一般人は立ち入ることができないリハーサルの最中に、ヴァイオリンの席からという特別な角度で、著名な指揮者の姿を写したものなのです。
それもヴァイオリニストとして演奏しながら、膝の上に括りつけたカメラで、自分が休符の瞬間に腕や手首でシャッターを押す、という信じられない方法で。
もちろん、シャッター音がするので、ヴァイオリンが休符でも他の楽器が大きな音で奏でている瞬間に、です。
プロが使う本格的なカメラなので音はしてしまいますが、その中でもなるべく小さいシャッター音のものを使っているとおっしゃっていました。
それにもちろん、楽団に正式に申し出て公に許可をもらって、指揮者自身にもきちんと納得していただいてからの撮影。
むしろ楽団にも指揮者にも、その出来栄えのためとても喜んでもらえているようです。
こんな話を聞いて、音楽と視覚芸術の関わりというテーマで日々模索している、音楽と目に見える動きとの研究がライフワークの私が、観に行かずにいられるはずがありません。
2022年11月から2023年2月いっぱいまで。
銀座のライカのショールームの中にある小さなギャラリーでした。
写真展のコンセプト
パンフレットやホームページに書かれている、和樹さんのこの写真展についての言葉を書き写してみます。
音楽を写している
一目で全部見渡せてしまうくらいの、小さな小さなギャラリーでしたのに、何十分佇んでしまったでしょうか。
一枚一枚の写真が、その前から動きたくなくなる作品でした。
この話をすると長くなるのですが、私は常日頃から、指揮者はすなわち身体表現音楽のパフォーマーだと考えています。
一生懸命練習してやっと指揮を振れる人が大半の中で、本当に才能ある指揮者は、指揮台に立つだけで全身から音楽が立ち昇り、身動きすべてが音を視覚化したものなのです。
指揮者ほど、才能の度合いがはっきりと見て分かる音楽家はいないと思っています。
私は学生の頃からずっと、ダルクローズリトミックの中のプラスティクアニメという身体表現音楽を研究し続けています。
そうはっきりと自覚して動きの芸術を探求している音楽家と違って、指揮者は「ダルクローズもプラスティクアニメも知らない」と言いながら、自身が素晴らしいそのパフォーマーであることは、よくあること。
というより逆に、身体表現の音楽パフォーマンスが潜在的に指揮をはじめとしたさまざまな音楽の場面にあって、それをはっきりと研究の一分野として確立したのがダルクローズだということなのでしょう。
まぁ、この話を始めると時間がいくらあっても足りないので、これくらいにしておきます。
とにかく、和樹さんの撮る写真から与えていただいたものは、指揮者が心身すべて音楽になっているその姿を、一般人は絶対に見るチャンスのない角度で見せてもらえたということでした。
さっそく一枚目から、息を呑みました。
静止画には見えなかったからです。
その画像から、その瞬間にどんな音が鳴っているのかがはっきりと聴こえてきました。
身体から放たれる音楽というのは、それほどに視覚的に伝わってくるものなのです。
まさかこれほどとは思っていませんでした。
何ととんでもないことを思いついてくださったのだろうと、その素晴らしさに一音楽家として、感謝したいです。
その指揮者の名前と曲名と作曲者が書き添えてあったのですが、
「あー、あの曲かな。こんな音が鳴るのは、あの曲のどの瞬間だろう」
と考えたりしているうちに、一枚ずつかなりの時間をかけて観入ってしまっていました。
そして、私がいつも口癖のように生徒さんに言っている
「音楽は時間の芸術」
「時が流れるということと自分の奏でる音との関係を、しっかり意識して」。
間違いなく過去であるこれらのとある素晴らしい一瞬を、こんな形で味わうことができて、本当に感動しました。
写真家との違い
もちろん、プロの写真家が舞台上にいて、観客とは反対の角度から演奏者を撮るということは、よくあります。
でもそれは、音楽以外のオーラを放つものが舞台上にいるということであって、その写真家の姿や身動きが指揮者や奏者の感覚の中に入って来ないようにすることは不可能です。
そして、和樹さんは、一緒に演奏する音楽家だけが理屈抜きに解る呼吸や緊張弛緩のタイミングという意味で、音を体から放つ魅力的な瞬間にシャッターを切っているのは一目瞭然。
そんなことは質の高い音楽家でない方には出来ません。
絵画と同じように視覚芸術として素晴らしいものを撮ることができるのが写真家。
和樹さんの写真は、写真としてのクオリティは私にはわかりませんが、その中に音が鳴っている写真なのです。
撮影対象
銀座のそのギャラリーに展示されていた方々は、、、
マーラーのシンフォニーを振る、2019年12月に亡くなったばかりのマリス・ヤンソンス。
チャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』を振る、ヴァレリー・ゲルギエフ。
ワーグナーの楽劇『パルシファル』を振る、セミヨン・ビシュコフ。
ベートーヴェンのシンフォニーを練習中の、ウィーン・フィルの前のコンサートマスター、私の大好きなヴァイオリニストのライナー・キュッヒル。
ベルリオーズのシンフォニーと、モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』を振る、リッカルド・ムーティ。
ブラームスのシンフォニーを振る、ダニエレ・ガッティ。
ブルックナーのシンフォニーを演奏中の、ウィーン・フィル打楽器奏者エルヴィン・ファルク。
ブルックナーのシンフォニーを振る、次回2024のニューイヤー・コンサートに決まったクリスティアン・ティーレマン。
マーラーのシンフォニーと、シュトラウスのエレクトラを振る、ニューイヤー・コンサート2023の指揮者だったフランツ・ウェルザー=メスト。
ベートーヴェンのエグモント序曲を振る、我らが小澤征爾。
ライカギャラリー京都でも、同じく2月いっぱいまで、同タイトルで違う作品を展示しているようです。
行ってみたい。。。
Musique, Elle a des ailes.