【予期悲嘆とは】
終末期のがん患者さんを抱えるご家族は、患者さんの病状変化に戸惑いの日々を過ごされていると思います。
その変化は目まぐるしく明らかに進行していると感じる時があったり、かと思うと安定していて「もしかしてもう少し頑張れるのかも」と思える日があったり、急に容態が悪くなり救急で病院へ搬送したり、死期が近いのではないかと実感したりします。
勿論私自身もそうでした。
夫の余命を告げられ、比較的早い段階からこのような日々の繰り返しで予期悲嘆を経験していたことはよく覚えています。
そもそも予期悲嘆とは何なのでしょうか。
1944年にリンデマンが称した用語だそうです。
実際に喪失以前から悲嘆は始まってしまうという考え方ですね。
下の図でもあるように、予期悲嘆は治療不能のところから始まっています。
もう、治すすべが無いのか・・・と思うと、看病する側も精神状態を保つのが非常に難しくなるのです。
疾病の進行を遅らせる為に化学療法を行うと治療直後から2~3日は体調不良になるものの、その後は安定して過ごせ旅行に行かれたり、美術館でムンク展を鑑賞出来た日もありました。
こうなると、もしかしてこのまま安定した日が続くのかも知れないと「儚い期待」を抱くのです。
しかし、そのような日は勿論長く続かずまた悪化する日がやってくると、精神状態はジェットコースターのように激しく上昇と下降を繰り返す。
その事で予期悲嘆も酷くなるメカニズムでした。
理論上は、予期悲嘆を経験していると心の準備が出来ていて、その後の悲嘆に対して緩和されることが考えられているようです。
しかし、予期悲嘆を沢山経験していたにも関わらず私の場合は全く違いました。悲嘆の感じ方は人それぞれだと思います。
全員がこれに当てはまらない、勿論当てはまる人もいるのも当然だとも思いますが。
経験者の私が振り返ってみて思う事は、予期悲嘆を感じている自分をその都度素直に受け入れることが大切だったのではないかと思っています。
私はその予期悲嘆でさえも、受け入れられない場面が多かった。その事が後に最悪の事態を招いた要因だったのではないかと自分では分析しています。
次回は悲嘆のプロセスについて考えて見たいと思います。
参考文献:(図の引用)最後の看取りを支えるグリーフ・ケア 寺崎明美 福岡大学医学部看護学科