40年目のできごと
またやってしまった。
日ごろは決して怒りっぽいわけでもないのだけれど、
年に数回、あるいは数年に一度、震えるほど怒ることがある。
そして怒りをぶちまける悪癖がある。
わたしが声をあげるだけの理由があると思うようなことは、
みんな薄々気づいているけど、あえて知らんふりしていることであり
頭から湯気を立てて怒るわたしは、さぞや滑稽だろう。
そんなことをいうべきではないと諭されることもあれば、
勇気があるね!と変な褒められかたをしたり、
何ごともなかったように、やさしく接してくれるひともいる。
とにかくわかっていることは、
わたしひとりが怒ったところで現実は何も変わらないということ。
そればかりか、いつもわたしは自分の居場所をなくしてしまう。
40年間、この悪癖のせいで
何度職場を、コミュニティを、去らなければならなかっただろう。
詳しいことは何も書けないけれど、
先日、数年ぶりに怒りに震え、爆発した。
怒りをそのままのかたちでぶちまけることはなかったけれど、
ちょっとした公共の場で心境の一部を吐露した。
また居場所がなくなってしまうなと思った(でも自制がきかない)
が、今回はいつもとは違う反応をいくつか受け取った。
うまく思い出せないけど、それはこんな内容だったと思う。
「いくちゃんが何かと戦っているときはきっと理由があるんだろうから
ひとりで抱えてないで、みんなで一緒に解決しようね」
わたしが自分に押しつけた「人生ってどうせこんなもの」という価値観、
かぴかぴに曇ったレンズが、金槌で壊されるような思いだった。
つまり、すごくすごくうれしかった。
わたしは誰かのために怒るとか、そんな器用なことはできないし、
自分の感じる怒りや違和感しか表現しようがない。
けれど、困り感あふれるメッセージとして受け取ってもらったことで、
今回はじめて、自分の心や居場所を破壊するという結末ではなく
「あぁ、次からは誰かにたすけてといおう」と学習できた。
そのコミュニティに戻るか、正直まだわからないけど、
何人かのひとが「戻っておいでよ」と個人的に声をかけてくれた。
人生40年目の奇跡だと思った。
という話を夫にした。
夫はこれまで4回ほど怒りに震える妻を目撃している。
夫のコメントは以下。
「そうだよね、いくちゃんは自分だけのためには怒らない。
いつも自分より大きなものを守るためにしか戦ってこなかった。
ちゃんとみてくれるひとと出合えてよかったね」
そうだ、忘れがちだけど、夫もいいやつで、よき理解者なのである。
夫も家庭も、友人たちも居場所も、大事にしてこ。
という、長めのポエム(私信)でした。
念願のサブ機購入!といいたいところですが、おやつ買っちゃうと思います。ありがとうございます。