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女湯を貸し切れたのは誰だ?/お風呂の歴史トリビア②

答えは、八丁堀の同心たちです


八丁堀には、町奉行所につとめる同心たちの組屋敷(集合住宅)がありました。町奉行所の同心は、江戸の警察業務を行い、治安の維持を担った役人です。
八丁堀の旦那方といえば、時代劇でおなじみの存在でしょうか。

黒羽織に着流し、十手を差した八丁堀同心は、粋で有名でした。

女湯の刀掛け

“女湯の刀掛け”は、八丁堀七不思議のひとつでした。

将軍のお膝元である江戸では、侍が銭湯に来ることも珍しくはありません。
もちろん入浴の間、刀は預かっておくのですが、その刀掛けが女湯にあるとはどういうことか…?

江戸の銭湯では、朝湯が開いていました。
八丁堀同心たちは出勤前にひとっ風呂あびたいわけですが、同じことを考える男衆は多いもの。朝湯では、男湯は大変混雑しました。
一方で、女湯にはまだそれほどお客がこない。
そこで特別に、八丁堀の旦那方に静かな女湯の方に入ってもらうわけです。

元与力は語る

南町奉行所与力の佐久間長敬は、次のように書いています。

此湯屋は留湯と唱、盆暮にいささかの金を遣し、毎朝四つどきまで女湯へ入るなり。他の男女は入ることを禁じ、これとも茅生丁・坂本町に住居する町芸者は押て入り来る、男女入込の制禁を犯せしとも、其後は察斗さっともなくして済来りたり。

『江戸町奉行事跡問答』より

同心たちはお盆や年の暮にちょっとお金を渡しておいて、毎朝四つ時(午前10時頃)まで女湯に入れるよう、取り計らってもらいました。このとき、他の男女が入ってくることは禁止です。
しかし、町芸者たちは気にせず、強引に入ってきてしまいます…!
男女の混浴禁止のルールを破ることになりますが、咎められることもなく、この習慣が続いていたそうです。

芸者たちの強気もなかなかですが、お互いに騒ぎ立てるのも野暮ということなのでしょうか。
侍が多い江戸の町と、朝風呂を譲らない江戸っ子の個性があらわれているのが“女湯の刀掛け”です。

そして、朝湯に入らないという江戸の女性たちはいつ銭湯に来るのか?
別のトリビアでお話ししたいと思います。

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いくは
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