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にしのとりかえばや(第二十五話)
二十七、
サラの脳裡に、アルキン叔父が教えてくれた父の言葉が蘇った。
〈父はわたしに全てを伝えてはおらなんだーー〉
自分が聞いたわけでもないのにサラは、ガイウスあの少し堅苦しい措詞を、ありありと脳裡に響かせることが出来た。
何故こんなところに祖父ラウドの名前が現れ、しかもしっくりするのか。それは先《せん》より疑念だった「そもそも父を斬ることのできる本領を持つ剣士などいるのか」という問いに帰着するからだった。ガイウスは〈飛頭蛮〉に殺されたのではない。明確に、斬り合いの末に斬られたのだった。
(父を斃せる剣士は〈祖父〉しかいないのではないかーー)
そんな想像が頭を過る。サラはアルキン叔父との会話をアガムに伝えた。ほほう、とサラの話にアガムが身を乗りだした。
「おもしろい。〈ホーロン七剣〉のガイウス・アルサムにすら伝わらなかった、カルロッツァの幻の剣か」
「して、アガム様の聞いたのはどのようなもので?」
ラムルが訊くが、アガムは残念そうに首を振った。
「わたしも、なにかの折に聞いたことがあるだけで詳しくはーー」
「ということは、誰がその剣を遣い手なのかも分からないわけですか?」
「ええ」
堪らずサラも口を挟む。
「アガム様が『翼』の話を聞いたというのはどなたでございましょう?」
アガムがサラをじっと見つめた。サラも見つめ返す。その人物ならより詳しいことを知っているかもしれない。アガムは一息吸い込んでから、思いがけない名前を吐き出した。
「ーー黒獅子侯その人です」
サラは虚を突かれた。まさかここでウルス・ライゴオルの名前が出てくるとは思わなかった。
「ガイウス殿が言い残した言葉がその剣のことを指しているかどうかーー」
考え込んでいたアガムが、見るからに愉しげな様子になっていった。双眸がキラキラと耀き、頬が薔薇色に染まる。新しい玩具を与えられた小童か、恋する令愛のようである。
「先ほどラムル殿は、ガイウス殿の死の様子がまるで決闘に臨んだかのようだと言っていたではないか。つまりこうも考えられる。まさしくガイウス・アルサムは、決闘の末に斃された。そして彼を葬ったのは『翼』の秘剣だった。その場合、犯人はーー『翼』の伝承者ということになる」
*
ホーロンに戻り、ハーリム医師の身柄を確保せねばならなかった。そして真実を聞き出すのだ。リオ老とシナハに礼を言ってサラたちは、馬腹を蹴り出立した。並足から速歩へ、人馬は一体となって逸散に砂漠を駆け抜ける。一路ホーロンを目指して。
(『翼』……か)
騎りながらサラは、胸のうちで呟く。そこには剣士としての好奇心も含まれていた。
傍晚間近、濛々たる黄金色の砂塵が遠くの空に拡がった。砂混じりのそれに巻かれぬうちに、何とかホーロンに辿り着いた。
ホーロンへの潜入は呆気なかった。まずアガムが先に一人で城内に入ると、馴染みの長行店(旅行業者)に口を利いて、貴人用の馬轎を借入れた。それにサラを放り込み、ラムルには従者の格好をさせて、堂々と南門を潜ったのだった。
馬轎の扉幕の内側でサラは、かなり緊張していた。似顔絵付きの御触書が配られているのは間違いなく、いつ呼び止められてもおかしくない。
しかし門衛は、随従の侍女に扮したアガムが、権高にライゴオル家の名を持ち出すと、禄に馬轎の中を検めもせずに通したのだった。その後も、特に遮られる様子もなく一行は大路を真っ直ぐ進んで、賑やかな界隈を横道に入った。
喧騒が遠退き馬が止まった。
「いいぞ」
声がかかった。扉幕を開けると、外光はすでに暮色を滲ませて橙色がかっていた。サラは素早く外に出た。
そこは南門近くの里坊にある寂れた廃廟だった。参道の石畳はひび割れ隙間から雑草が蔓延っている。小さな本堂は半ば崩れていた。荒れ果てた境内に足を運ぶ酔狂な者はおらず、周囲にまったく人の気配はない。ボルとの待ち合わせ場所がここであった。
「出てきてくれ。この方は敵ではない」
ラムルが、どこへともなく声をかけた。廃墟は沈黙している。
もう一度声をかけようとラムルが口を開きかけたとき、祠堂の陰から、にゅうっとボルの光頭が現れた。あの巨体をどこにどう縮めていたものか、うっそりと近づいてくる。手前で立ち止まってアガムに胡乱な視線を投げかけた。警戒を解いていない様子だった。
「アガム・ライゴオル様だ」
ラムルの紹介に、ボルは顎が落ちそうなほど口を開けた。黒獅子候の第六子がなぜ、という疑問よりも、たぶんその姑娘のーーと言うか孺子のーー可憐な美貌に驚愕しているのだろう。
ラムルが、バソラ邨での経緯を簡単に説明した。ボルの眼が、疑わしそうにアガムを舐め、次いでラムルに戻された。信用してよいのか、とその目は問うていた。
「それでは、わたしはここで失礼します。また後程ーー」
そんな二人の遣り取りに頓着した様子もなく、アガムが嫣然笑って、可愛らしく鞠躬した。アガムは、黒獅子侯との面会を取りつけに行くのだ。仙女めいた顔貌にボルが狼狽えているうち、アガムは飄然と去っていった。
とそのとき、聞覚えのある濁声が降ってきた。羽搏と共に、大きな鳥影が舞い降りた。紅隼のタルガ大姐だ。
紅隼は、祠堂の瓦屋根に留まると、けたたましく一声、啼いた。ボルが寄っていって、恐る恐る脚に結び付けられた書信をほどく。
猛禽が、じろりとボルを睨み付ける。鳥語も喋れず不便な奴だ、とでも言いたげである。
素早く目を通したボルの表情が、引き締まった。
「如何した?」
ラムルが訊ねるとボルは、今夜動くぞ、と短く答えた。
ボルとマルガは、ワルラチを捉えるために一計を案じた。本人の住処を突き止めることは困難でも、行動を予測することは出来る。即ち、アクバを張っていればいずれワルラチに接触すると見たのである。
同じことがハーリムについても言えた。御史台と監察御史シクマを見張ることで、ハーリムを見つける可能性が高まるのではないか。無論、御史台に先んじるに越したことはないが、現実的に難しいならば組織の力を利用しない手はない。つまり、御史台が見つけたハーリムを横取りするのだ。
そしていま、アクバに張り付いていたマルガが、御史台の動きを伝えたのだった。
「捕物の舞台はーー大宝塔だと?」
ラムルが首を捻る。
大宝塔は、可兌統治時代に建立された磚造りの七層の高楼である。西市の敷地内に立っており、ホーロンで宮城より高い唯一の建物だ。内部をめぐる螺旋階段を上りきると、城内を一望することができる。しかしーー。
「市場はもう閉まる時刻だが……。待てよ、大宝塔の周りは、子夜は花子たちの塒になってるはず……そうか」
「そこにハーリムが居るのね!」
サラの声に、ラムルが頷く。
「そうと決まれば、こっちも備えておこう」
ボルが二人を促した。確保済みの蔵身地に案内してくれるという。
*
夕べの鼓はとうに鳴り止んでいた。残照の茜や金に薄闇が混ざり、夜が訪れた。
二人が連れていかれたのは、とある二階建ての旗亭の上階であった。その奥まった一室は流連の常連客が居座る房室で、しかも巷曲に面した裏口から直接、房室に出入りができる格好の場所である。
室内を扆で仕切って、各々動き易い装束に着替えながら、二人は話し続けた。
「あの言葉ーー『翼』には本当に意味があるのかな……」
「正直まだ分からん。だが今のところ、ガイウス様が残してくれた唯一の手がかりらしきものだからな」
扆の向こうからラムルが応える。考えてみれば大胆な状況なのに思い至ってサラは、場違いにも頬が熱くなった。慌てて着替えの手を早める。
「『翼』がお祖父様の剣だとすればーーベルンの者が怪しいということになるのね……」
信じたくはないが、いま最も疑わしいのはベルン門人の中にいるということになる。
「いや、そうとばかりは言い切れない。贔屓目で述べているのではないよ」
偉大な剣士カルロッツアの下にはかつて、武館の枠をこえて多くの者が教えを請うため集った。カルロッツアもまた門派の分け隔てなく優れた剣士を育てようとしていた。下手人が必ずしもベルンの者に限られないというラムルの主張にはそれなりに根拠がある。だがしかし、本音の部分ではやはりガイウスの身内を疑いたくないのに違いなかった。
終わったかい、とラムルが声をかけてきたのでサラは、返事をして扆を除けた。
久しぶりに二人とも士族らしい格好になって、人心地がついた気がする。短衣に動き易い褲を穿き、腰刀を差している。足許は柔らかい革鞾で、いつでも戦えそうだった。
ボルが房室に入ってきた。ボルがためらいがちに、サラたちの前に紙片を広げて示した。それは高札に掲げられる御触書を剥がしてきたものだった。サラは思わずそれを引ったくった。息を飲んだ。そこには朱筆の太い文字ではっきりと、
〈以下の者、恐れ多くも至尊の座におわす先君に不敬をいたしたるかどにて仕置きいたす。
ジクロ・アルサム
ジナ・ルンリー
場所は東の広場。赤の日の正午の刻限。〉
と記されていた。
「馬鹿な! 拙速にすぎる!」
覗き込んだラムルが呻く。サラは、すうっと全身の血がさがった気がした。ジクロとジナの命の灯火が吹き消されるまで、あと四日しかない。急がずばなるまい、とラムルが低く呻いた。