ギンナンが落ち始めると思い出すこと
ギンナンが落ちていました。
踏まないように気をつけねばなりません。
昔は「どこそこにギンナンが落ちている」と聞くと、喜び勇んで母と拾いに行きましたが、いつからかそういうことをしなくなりました。
ギンナン拾いはしないのですが、落ちたままになっているギンナンを見ると、とてももったいない気分になります。
ギンナンを見るともう一つ思い出すことがあります。
昔勤めていた、知的障がいのある子どもたちが通う(特別)支援学校の話です。
ブランコや滑り台やシーソーや砂場などがある中庭には、立派な立派なイチョウの大木がありました。
給食後の休み時間など、子どもたちは、中庭、プレイルーム、教室など、思い思いのところに遊びに行きます。先生たちは瞬時に役割分担をして、子どもたちを追って走ります。
イチョウの木からギンナンが落ち始める頃、先生たちのあいだで毎年おきまりのやりとりがありました。
「誰かウンチ出てない?」
「誰も出てないみたいだねぇ。あ、ギンナンだ!」
そのうちギンナンのにおいに慣れてきて、
「匂うけど、きっとギンナンだな」と思っているとウンチが出ていた、ということもありましたが。
ギンナンが落ちている間は、それを踏んづけてしまった靴をゴシゴシ洗って干しておくのも子どもたちが帰ってからの先生の仕事でした。
ベテランの先生が、靴を洗いながらおっしゃいました。
支援学校の先生の仕事は確かに大変ですが、ひとりひとりのお子さんに合わせて、先生たちが協力して育てるというところに大きなやりがいがあって、しかも自分も優しい気持ちになれるという、この上なく素晴らしい仕事だと思います。