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【本の紹介】『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

最近「手話」と「点字」の勉強を始めました。
36年間の教員生活で、最後まで「手話」と「点字」ができるようにならなかったことが心残りで。

携帯用点字器も買いました。

携帯用点字器

点字を打つ時は、読む時と左右反転させなければいけません。(紙のウラから打ちますので)

何とか読み方を覚えたばかりの私には、「反転させる」という脳内作業は非常に困難です。

頭の体操には良いに違いない、とは思うのですが、すぐに嫌になってしまいそうなので、一覧表を見ながら打ってみました。

ポチポチと打っていく感覚は気持ちが良いです。実のところ、こんな道具を使って打たなくても、パソコンと点字プリンターを使えば点訳できてしまうそうですが、チマチマと打つ作業も楽しいですよ。編み物と同じような感覚でしょうかね。

こうやって楽しく点字の勉強していたのですが、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の本には、こんなことが書いてあるではありませんか。

2006年に厚生労働省が行った調査によれば、日本の視覚障害者の点字識字率は、12.6%。つまり見えない人の中で点字が読める人はわずか一割程度しかいないのです。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)

点字の識字率が下がっているのは、点字を速く読める程度にまで習得するにはそうとうの努力が必要であるということもありますが、「電子化とインターネットの発達」もその要因だそうです。

音声読み上げソフトがあるので、点字を読まずとも、電子化されたデータなら耳で聞くことができます。

2006年の調査で12.6%ですから、2023年の今はもっと低いでしょう。

目の見える人たちの中でも活字離れが進んでいるのと同様、目の見えない人たちの中でも「点字離れ」が進んでいる、と著者は言います。世の流れですね。

この『目の見えない人は~』を読んでいると、目から何枚もウロコが落ちました。

著者の伊藤亜紗さんは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授で、専門は美学・現代アートですが、もともとは生物学者をめざしておられたそうです。

その伊藤さんが、「見る」とはどういうことなのかを、見えない人との対話をもとに「空間」「感覚」「運動』「言葉」「ユーモア」の5つの観点から追究した書物です。

印象に残っていることを紹介させてください。(とても大雑把に書いています。ご本人のことばではありませんのであしからず。)


視覚を使えないというのは3本足でしっかり立つデザインの机ができているイメージ

「視覚を使えないというのは、たとえば4本脚の机から1本が無くなっているイメージではなくて、3本脚でしっかり立つデザインの机ができているイメージである」ということです。

目から情報が入らないのなら、他の器官を使って「見る」ことができるように脳のデザインが変化する、ということだと思います。

テレビドラマの『ラストマンー全盲の捜査官』で、全盲の皆実捜査官(福山雅治)が、指を打ち鳴らしながらその反響音で空間を把握するシーンが出てきます。

私は、「それは無理やろ」と思っていました。けれども、『目の見えない人は~』の本の中にも、舌打ちをし続けながらその反響で空間を把握し、バスケやスケボーをする、ベン・アンダーウッドさんの話が出てきます。エコロケーション(反響定位)というそうです。

反響定位 - Wikipedia

皆実捜査官は実在するのかもしれません。いて欲しいなあ。

見えない人の美術鑑賞

見えない人1人以上と、見える人4,5人でグループをつくります。

その5,6人のグループで、絵を鑑賞するのですが、その方法が変わっています。

普通、美術館は静かに見ますが、ここではおしゃべりしまくります。

見える人が、その絵について、ことばを尽くして説明します。もちろん、見えない人に伝える、という意識をもって。

絵の見方は人それぞれ違いますから、見える人からはそれぞれ違う視点から説明されます。見えない人からも、たくさん質問します。

見えない人は、「ことば」のみから、絵を鑑賞します。

これは、見える人にとっても面白いですよね。自分とは違う視点で見ることができます。ソーシャル・ビューというのだそうです。下のページに具体的な体験レポートがありました。

第一部 ソーシャルアートビュー体験記 - 東京大学文学部小林真理ゼミ (kobayashi-lab-cm.org)

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗 | 光文社新書 | 光文社 (kobunsha.com)

たいていの人は、自分が感じている世界しか感じられないので、それぞれ違う感じ方をしているということを忘れがちです。

私もすぐに忘れてしまって、イライラしたり悶々としたりしてしまいます。けれども、もういいかげん、ひとりひとり違う感じ方をしているのだということを忘れずにいられる人でありたいなぁと思います。




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