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脱北して日本に来た女性の話(5/27『YOUは何しに日本へ?』)

テレビ番組『YOUは何しに日本へ?』が好きで毎週見ている。
昨日は、脱北して日本に来た女性への取材があった。

韓国から来たヨンヒさん(33歳)と、日本人の夫。
ヨンヒさんは、祖国の北朝鮮から6年ほど前に脱北した。川を泳いで中国に渡り、ラオスから韓国へ、というルートによる、4カ月間の逃亡劇だった。

韓国で日本人のパートナーと出会い、ふたりで北朝鮮料理店を出すために来日したとのこと。

取材陣は何度も「こんなことを取材しても大丈夫なのか」と確認していた。私も「大丈夫なのか?」と思った。
「北朝鮮」「脱北」ということばには、何かわからない恐怖感を持ってしまう。「ヨンヒさんの身は大丈夫か?」と思ってしまう。

取材は再度、半年後に行われた。きっと各方面に「大丈夫か?」と確認したのだろう。

半年後、ヨンヒさんは「在留カード」を取得し、夫婦と3歳のお子さんの3人で幸せな生活を営んでおられた。
北朝鮮料理店「ソルヌン(冬の雪)」も順調に滑り出した。

ヨンヒさんは北朝鮮での悲痛な経験についても話しておられた。
貧困や飢え、そして思想統制。

北朝鮮では韓国ドラマを見ることが禁じられていたが、その禁を破ったことを知られてしまった、ヨンヒさんの知人が処刑された。しかも、ヨンヒさんは、処刑の現場を見るよう強要されたという。

北朝鮮のことも脱北のことも、ある程度は報道されているにもかかわらず、私には見えていなかった。


第2次世界大戦後、在日朝鮮人の帰還事業が行われた。
1950年代から1984年のことである。

その頃、北朝鮮は「地上の楽園」と喧伝され、9万人を超える在日朝鮮人やその(日本人の)妻、夫が帰還した。(韓国は朝鮮戦争からの復興が遅れており、在日朝鮮人の受け入れを拒否していた)

1960(昭和35)年2月26日付朝日新聞には次のような記事が掲載されている。

(北朝鮮への)帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ。

1960年2月26日付 朝日新聞

たった64年前、北朝鮮の状況を、日本人の多くは何も知らなかったということだ。

現在でも全貌は見えていない。

全貌が見えないのは北朝鮮の話だけではないが…。

還暦にもなって、私は何もわかっていない。
見えていないこと、知らないことが多すぎる。
情報はあふれているが、どれが正しい情報なのかわからない。
わからないことは恐怖だ。
せめて新聞や本や情報番組を、自分ごととして心にとめながら見聞きしたいと思う。


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