【入管問題】中国から来たAさん
思い出すことがある。
「学校のいい話」ではなく、「日本の国の民であることが恥ずかしくなる話」かもしれない。
今から20年以上前、私が高校教員だった頃、中国から来たAさんと出会った。Aさんは中学生の時に、両親に連れられて日本にやってきた。非常にまじめで心優しく、家族思いの礼儀正しい少年だった。日本に来て4年ほどだというのに、日本語検定1級を取得するほどの努力家でもあった。私は彼とマンツーマンで日本語の授業をした。授業というより人生相談のようになっていた。彼は家族のことや今後の暮らしのことを心配して、涙することが多かった。
Aさんが高校3年生になり、大学への進学も決まった頃、Aさん家族の不法滞在がわかった。Aさんの涙の本当の理由がわかった。
Aさん家族は入国管理局から呼び出しがあった。何があるかわからないので、私たち教員ほか、弁護士さんなど支援者も付き添った。
そして、入管担当者から、「父親を収容する、そうでなければ長男のAを身代わりに収容する」、と申し渡された。父親は身体に障がいがある。Aさんは、「僕を収容してくれ」と申し出た。そして、数ヶ月に渡って収容されることとなった。私たちの必死の抗議も聞き入れられることはなかった。収容されていくAさんの後ろ姿を見ていることしかできないのは、あまりにも無念だった。
Aさんは、中学生の時に、何も知らずに日本に連れてこられ、人一倍まじめに勉強をしていただけの、誠実で優しい18歳にも満たない高校生である。
なぜその彼が収容されねばならないのか。
支援者が動き出した。
集会を行った。
支援のためのホームページも開設した。
何度も面会に行った。
そしてようやく仮放免が認められ、ついに特別在留許可がおりた。
それから10年ほど経った頃、Aさんから連絡があった。就労ビザもおりて日本で就職し、日中のことばを自由に使える力を活かして、働いているという。
久しぶりに、近くの喫茶店で会うことになった。よもやま話をして、さぁ帰ろうかという頃、Aさんは、「先生、ちょっと目をつぶってください」と言う。言われた通り目をつぶると、うしろから、肩にストールをかけてくれた。赤い、美しい刺繍の入ったストールだった。
「仕事で中国に行ってきたのでお土産です。先生よく似合うよ。」という。その様子を見ていた喫茶店の店員さん、「息子さんですか?親孝行ですねぇ。」
「はい、ありがとうございます。息子のようなものです。」
日本の入国管理制度は世界から非難を浴びているが変わらない。恐ろしい話である。