【退職後の日常】写真整理で泥沼にはまる(写真の整理を始めた日の日記)
2023年5月30日(火)
これまで見て見ぬふりをしてきた昔の写真の整理を始めることにした。
まず方針を立てる必要がある。
①スキャンしてデータ化するか
②残したい写真を厳選してアルバムに貼りなおすか
2つしか思い浮かばない…
データ化すると置き場所はいらなくなるが、見返すことも無くなりそうである。
やはり昔の写真は家族でワイワイ言いながら見たい。
ならば②しかない。
どうしても残したい写真だけ残してあとは廃棄する方向ですすめることにする。
自分の写真はもう見たくもないのでさっさと捨てる。
しかし、子どもたちの写真には見入ってしまう。
作業が進まない。捨てられない。
息子の卒園式の写真。
両親が行ってくれている。その頃の両親は今の自分と同じぐらいの年齢である。みんな笑顔の良い写真である。
「私はどうして行かなかったんだろう」と不覚にも涙が出る。
休みにくい仕事があったには違いないが、それでも何とか行けなかったのだろうかと心が痛む。
自分の勤務校の入学式、息子が高熱を出して休ませていただいたことがあった。新入生の担任だったのに。
あの時に仕事を休んだことには後悔の気持ちが起こらない。他の先生方にご迷惑をおかけしたことは申し訳なかったが「担任として入学式に出なかったこと」には全く後悔がなく、笑い話にしてしまえるほどなのである。
しかし、「我が子の卒園式に行けなかったこと」には今も後悔が残り続けている。
卒園式だけではなく、学習発表会も参観も。
子どもたちは忘れてしまっているのだろうが。
25年前、「子どもが病気」なら母親が休みを取ることに少しは理解を得られたが、そうでなければ休むのは難しかった。
父親が休みを取るのはもっと難しかったと思われる。
うちは、私も夫も高校教員だったが、子どもの病気で休むのはほぼ母親である私のほうだった。
もちろんその時代にも、上手に仕事のやりくりをして家族の看護や介護をされる男性もいらっしゃり、後光がさして見えた。
男女に関わらず家族を大事にできる労働環境がないと、教員の数も子どもの数も増えないに決まっている。
幼稚園の先生との「連絡ノート」が出てきた。
『苦手なことでもあきらめずに最後まで頑張っています』とか、
『〇〇さんととても仲がよくて、いつも一緒にいます。他の子どもたちに冷やかされてもニコニコ笑っています。』とか、
『家であったことを毎日のようにお話しに来てくれます。』とか、
うれしいことがたくさん書いてある。
あの頃の私は先生の連絡帳に癒されていたんだろうなぁ。
こういうものを見ても泣けてくる。
保育所や幼稚園の先生は偉大な仕事だ。
あかんわ。
もう全然すすまへん。
昔の写真には感情が揺さぶられてしまう。
しかしもしかすると、これからの人生を良い気持ちで生きていくためには必要な作業なのかもしれない。
結局今日は、勤めていた学校の卒業アルバム(昔は学年教員全員に配布されたのでたくさんたまっていた)を頑丈に括ってガムテープでぐるぐる巻きにして袋に入れたのと、押し入れに掃除機をかけたのとで終わり。
次はアルバムに貼ってある写真を全部外して時系列に並べる作業をやろう。きっと進まないだろう。
ゆっくり進めるのが良さそうだ。
何回涙を流すことになるのだろう。