校正は、ただの通過点ではない
読了。
校正という仕事の表面だけではなく
実際にたずさわる人間が如何に心を寄せているか、
クレジットに載らない校正者という存在が本作りにどれだけ重要なのか。
校正の業務を愛してやまない、そして本作りを愛してやまない筆者。校正という必要性をもっと感じて欲しいという気持ちが感じられた。
積極的受け身のすすめ
実際に校正をやっていると、この「積極的に、受け身」という雰囲気はしっくりくる。
活字に対して積極的に眼差しを向けるけど、自己主張はしない。自分のカラーはそこに投影できない。それが校正の立ち位置。
ただの通過点に過ぎないとか、編集者が兼務すればいいだろうとされてしまう。
ゆえに最近はこの「校正」の通過点をとおらなかったであろう記事や書物にはよく出会う。
誤字脱字、慣用句の誤用。
SEOを意識し過ぎた記事は、同じ語句の乱発で読みにくさに呆れる。
ベストセラーのビジネス書にも誤字を見つけた。何だかもう、まぁそんなもんなんだな、と諦めのような感じで肩を落とす私がいる。
私もライターで校正者の端くれだけど、そんなweb記事やビジネス書などの完成度の低さには驚く。やっつけ仕事が多過ぎる。
これも時代の流れで片付けていいものなのか。
私の提供するものはそんなに適当にはしたくない。
と、いいながら。この記事にも誤字脱字はあるのかもしれない。ある可能性の方が高い。
国語力はさて置き、誤字脱字については、客観的な視点でないと見つけられない。
情報に、活字にまみれている現代だからこそ、第三の眼を軽んじてはならない。
本や活字媒体を発信する人達には、今こそもう一度、原点へ立ち返ってほしい。
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独り言と備忘録的なライフハックを呟いてます。言葉のお仕事だけど発信がヘタ。子育て、コーヒー、時々アルコール。楽しいことが好き。静けさの方が好き。